島の「野球初心者」甲子園へ 大崎高2年 井元隆太 長崎県平戸・度島中出身

明豊(大分)との準決勝の延長10回、チームの同点打に喜びを爆発させる大崎の井元(左)=県営ビッグNスタジアム

 長崎市で開催中の九州地区高校野球大会で決勝に進んだ長崎県立大崎高(西海市大島町)。「小さな島から甲子園へ」という目標が現実となったチームの中に、もっと小さな島出身の選手がいる。平戸市立度島中から入部した「野球初心者」の外野手、井元隆太(17)。“大きな”島への挑戦を後押ししてくれた家族への感謝を胸に努力を重ね、今大会登録選手20人の中に背番号13で名を連ねた。

  □塀が練習相手
 少子化の影響で「子どもたちがやりたいスポーツをできない」地域が増えている近年。平戸島からフェリーで約35分の度島もその一つだ。人口は668人(10月現在)。井元の同級生は11人しかいなかった。祖父や父の影響で幼いころから野球が大好きだったが、島内にチームはなかった。
 小学時代はサッカー、中学は卓球か陸上部の二択で陸上を選択。でも、夢中になったのはキャッチボールだった。“相手”はずっとブロック塀。母の光枝さん(54)は「雨の日も風の日も、最終便で帰って暗くなっていても、一人でやっていた」と振り返る。
 姉2人や兄、巻き網漁で月に1度しか帰宅できない父も「家族練習」で末っ子を応援した。中学2年時、10歳上の姉は甲子園観戦に連れて行ってくれた。「ここでプレーしたいな」。思いは強くなった。
 中学3年時、県立清峰高や佐世保実高を全国へ導いてきた清水央彦監督(49)が大崎高に就任。周囲の勧めもあって、オープンスクールに参加した。野球部の練習体験では全員ユニホーム着用の中、一人だけ体操服。初めて同世代を相手にボールを投げる息子を見て、母は涙した。
 だが、進路は迷った。力のある選手が大崎高に集まり始めたころ。「素人がやれるのか…」。進路希望調査表に一度は平戸市内の高校を書いた。でも、諦めきれなかった。「どう思われてもいい」。そう決意させてくれたのは、やはり一番の理解者の家族だった。

  □メンバー入り
 一般受験で入学後は、周囲とのレベルの差を思い知った。「それでも、一つ一つ監督の言葉を聞いてやっていけた」。苦しいトレーニングも、島で走り込んだ自信を胸に食らいついた。そんな頑張り屋を、清水監督はこう評する。「真面目に取り組んだことを確実に物にしている。普通なら厳しい状況なのに、今は守備固めに欠かせない選手」だと。
 県大会で優勝した数日後、九州大会のメンバーが新聞に載った。母は「度島中出身」とともにあったわが子の名前をしばらく見詰め、また泣いた。
 家族は今大会、可能な限りスタンドで応援した。父の政義さん(52)も北海道沖から戻って準々決勝までは観戦した。5日の準決勝後、母が言った。「甲子園なんて自分たちには関係がないと思ってきた。飛び込んで良かった。受け入れてくれた監督、ほかの選手、保護者の方々に感謝しかない。幸せです」
 この大会が終われば、部員29人による甲子園メンバー入り争いが待っている。「チームが勝つことが一番」だが、やっぱり試合には出たい。目標はあくまでもレギュラー入り。「人一倍やる。甲子園でプレーして家族に恩返しする」。島っ子の夢は、ここからが本番だ。


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