「希望の光を届けたかった」 東北との絆を力に変えてきた岩隈久志の野球人生

巨人・岩隈久志【写真:荒川祐史】

最後は巨人で引退、7日にセレモニーを東京ドームで

10月23日に現役引退を表明した巨人・岩隈久志投手。7日のヤクルト戦(東京ドーム)後に引退セレモニーが行われる予定で、改めてファンへの感謝を言葉にする。先に行われた引退会見は印象的な言葉やシーンがいくつもあった。特に東北の存在が野球人としての支えになっていたという。

170個の白星を積み上げた21年の思いを巡らせていた。印象に残るゲームを問われた岩隈は「本当にたくさんのドラマがあったと思っています。ひとつとは言えないんですけれど……」。最初に口を付いたのは、15年前、楽天時代のことだった。

「球界再編で楽天に移籍し、開幕投手をさせてもらいました。第1試合で勝利を挙げられたことです」。

2005年3月26日のロッテ戦(現ZOZOマリンスタジアム)。新球団の初陣で先発マウンドを任された。9回5安打1失点の投球で見事、勝利した。ロッテとの2戦目は0-26で大敗し、シーズンも最下位だったが、岩隈がいたからこそ、楽天は夢を持って、発進することができた。一歩目がなければ、球団としては2013年の日本一だって実現できなかった。

「2011年の東日本大震災の時(年)も開幕投手をさせてもらいました。東北でみんなが苦しんで戦っている中、任されたことに関して、みんなで前進していく思いがありました。WBCの決勝で投げるよりもすごく緊張して。大事な場面でも投げさせてもらい、その試合をみんなで勝てたことが思い出です」

引退会見で「絆」「感謝」という言葉を何度も使っていた。特に、05年から6年間、在籍した東北の地で強く感じた絆が、その後の岩隈のモチベーションになっていたという。

東北は未曾有の災害に見舞われた。04年の新球団設立から移した本拠地・仙台で、自分が復興のシンボルとなろうとした。

引退会見で原監督から花束を受け取る巨人・岩隈久志【写真:編集部】

楽天の球団ツイッターでも引退を労う言葉が…

「仙台、東北に行ってから野球だけではなく、人間として成長させてもらいました。応援がなければ、メジャーにも行けていないし、できなかったと思います。東北の皆さんの絆というものも持っていましたし、一緒になって戦ってくれたと思っているので感謝しています」

2012年にマリナーズへ移籍。14勝した2013年にはオールスターにも出場。2015年8月にはオリオールズ戦でノーヒットノーランも達成した。2016年には16勝を挙げる活躍。2018年に退団するまでメジャー6年で63勝39敗という成績を残した。

「メジャーリーグに挑戦する時、『希望』をテーマにさせていただきました。震災後に挑戦させてもらったので、東北の皆様との絆を途切れさせたくなかった。メジャーの舞台で希望の光を届けられればいいなという思いでやっていました。家族とも『感謝、感謝の戦いだね』『恩返ししていこう』と話をしていました」

未来に向かって挑戦する、前へ進む――。東北から力をもらっていたという。

「(2019年に)ジャイアンツを選んで来たのも、東北のファンを裏切る訳ではなく、この地でチャレンジしていくという思いでやらせてもらいました。東北のファンの方々に1軍のマウンドで投げる姿を見せられなかったのは残念ですが、感謝の思いでいっぱいです」

所属した楽天も岩隈が引退を発表したことにツイートを引用する形でメッセージを投稿した。「岩隈久志選手、お疲れさまでした。初年度の2005年から2011年まで、楽天イーグルス投手陣の中心としてチームを支えてくれました。東北にたくさんの思い出をありがとうございました!」と綴った。岩隈がこのような思いを持って戦っていたのは確かに伝わっていた。

リハビリ生活はもちろん、復帰へ向けたトレーニング期間であったが、何か次の希望につなげたいという思いもあった。原監督が岩隈について「若手の手本になった」と背中で練習する姿も見せられたのも、その一つ。この経験は必ず次のステップに生きる。指導者になった時にも体験談を伝えることができる。そう思えれば、苦しみばかりではなかった。

苦しみの先には何があるのか。希望はあるのか。光は見つけに行くのか、待っていればいいのか……。岩隈はコロナ禍で球団の活動が制限されている時、ある子供たち向けに双方向のオンラインミーティングを開催していた。その時、参加した子供から、コロナによって野球ができない、勉強ができないという不安を抱えているという相談を受けた。そして以下のように優しく語りかけていた。

『勉強ができなかったり、モチベ―ションが下がったり、それは、みんな不安な気持ちがあると思う。逆に、この時間をどう生かそうか考えることで、次のステップへの道が見つかると思う。コロナのせいにはしたくない。悔しい気持ちはあるけど、克服するしかないんだよね。コロナだけの責任にしたら(自分の)成長は止まってしまうよ』

改めて聞くとその答えは約20年、岩隈が見せてきた生き様だったのかもしれない。所属球団の消滅、新球団での一歩、震災復興、メジャー挑戦、怪我との戦い……。希望の光を消さぬよう最後まで投げ抜こうとする姿は、間違いなく東北や子供たちの未来を照らしていた。(楢崎豊 / Yutaka Narasaki)

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