ザ・ウォールフラワーズの『ブリンギング・ダウン・ザ・ホース』は90sルーツロックの一つの到達点となった傑作

『Bringing Down The Horse』(’96)/The Wallflowers

ルーツロックは文字通り、ブルースやカントリーなどのアメリカンルーツ音楽に根ざしたロックのことである。そもそも50年代に登場したロックンロールという音楽自体がブルースやR&B;、カントリーのフュージョンであるだけに、なぜルーツロックと呼ぶのかは、若い人にはなかなか分かりにくいかもしれない。60年代の中頃になると、ロックはどんどん進化しルーツ的なロックは影を潜め、サイケデリック、プログレ、ハードロックなど、新しいロックのスタイルが次々と現れるようになる。それらの多くは“ロック”そのものに影響されていることで、ロックの原点が見えにくくなってしまっていたのだが、ザ・バンドやデラニー&ボニーといったグループはR&B;やカントリーなどをモチーフにした先祖返り的(もちろん先進性は兼ね備えている)なサウンドであったにもかかわらず多くのファンを獲得する。彼らはカントリーロックやスワンプロックの先駆けとなり、彼らに影響を受けた後進のアーティストのサウンドをルーツロックと呼ぶようになったのである。アメリカではルーツロックはいつの時代にも繰り返し再生されている。今回取り上げるウォールフラワーズは、ジェイコブ・ディラン率いる90sを代表するルーツロックグループのひとつで、本作『ブリンギング・ダウン・ザ・ホース』は名曲満載の傑作である。

ジェイコブ・ディランと ウォールフラワーズ

ジェイコブ(英語表記は“Jacob”ではなく“Jakob”)・ディランは想像通りボブ・ディランの息子で、1969年生まれの才能あふれるルーツロッカーだ。風貌や声は父親に似てはいるが、親の七光りでは決してない。それは、彼が書いたウォールフラワーズの楽曲群やオルタナ・カントリーロックのソロ作『ウーマン・アンド・カントリー(原題:Women + Country)』(‘10)を聴けば明らかだ。

ウォールフラワーズは、89年にジェイコブが幼馴染のギタリスト、トビ・ミラーにバンド結成を持ちかけるところから始まる。グループにはミラーと一緒にやっていたベーシストのバリー・マグワイアも参加し、翌90年にドラムのピーター・ヤノウィッツが加入する。最後にウォールフラワーズの看板キーボード奏者ラミ・ジャフィが加わってグループは始動する。ラミ・ジャフィは多くのスタジオ・セッションをこなす有能なプレーヤーで、彼を抜きにしてウォールフラワーズの音楽は語れない。

デビューアルバムでの挫折

彼らは時々思い出したようにルーツロック作品をリリースするヴァージン・レコードと契約、デビューアルバム『ザ・ウォールフラワーズ』(‘92)をリリースする。このアルバムはかなり良い出来であったにもかかわらず、まったく売れなかった。その背景にはヴァージン側がディランの息子であることを前面に押し出そうとするセールスの手法にジェイコブが嫌悪感を示し、会社側ともめたことが原因だとも言われているが、プロモーションの問題があったのかもしれない。ついてないことに、ウォールフラワーズと契約したプロデューサーや役員が解任されることもあって、結局契約を切られてしまう。

次のレコード会社との契約が決まらないままツアーに出ている時に、ジェイコブとメンバー間に溝ができはじめ(よくあることだが…)、グループはうまくいかなくなる。ドラムのヤノウィッツは当時付き合っていた10,000マニアックスの人気リードヴォーカリスト、ナタリー・マーチャントのソロデビューのサポートをすることになり、マグワイアとふたりで抜けてしまった。そのマーチャントのアルバムというのは名作『タイガーリリー』(‘95)のこと。

94年、89年に設立されたばかりの新興レーベル、インタースコープレコードのオーナー、ジミー・アイオヴィンが彼らの音楽に興味を示し、契約が成立する。次作のプロデューサーには、これまた彼らの音楽を聴いて感銘を受けたTボーン・バーネットが担当することになる。バーネットは現在のルーツロック界で最高のプロデューサーのひとりであり、複数回グラミー賞を受賞している。また、70年代は奇しくもボブ・ディランのバックギタリストを担当していて、グループにとっては最高の人選となった。ちょうどこの頃、残念なことにグループ創設メンバーのトビ・ミラーが脱退してしまい、創設メンバーはジェイコブとジャフィのふたりだけしかいなくなった。少し後に、ベーシストのグレッグ・リックリングが加入し、ウォールフラワーズは3人組となった。

新たなメンバーが決まるまでの間、レコーディングは、バーネットの人脈からマイク・キャンベル(トム・ペティ&ハートブレイカーズ)、フレッド・タケット(リトル・フィート)、ジェイ・ジョイス、ゲイリー・ロウリス(ジェイホークス)、デビッド・ローリングス(ギリアン・ウェルチのギタリスト)、マイケル・ワード、マット・チェンバレンといった強力なサポートメンバーが呼ばれることになった。

本作『ブリンギング・ダウン・ ザ・ホース』について

いろいろな問題がありながらも、ジェイコブはアルバムのレコーディングを開始する。ライナーノーツにはウォールフラワーズのメンバーとしてマリオ・キャリア(Dr)がクレジットされているものの、違うページには“全てのドラムはマット・チェンバレンが演奏している”と書かれている。マリオはアルバムのリリース直前に加入したためにこういう表記になっているのだが、このエピソードだけでも本作が混乱の中でレコーディングされたことが窺える。

ところが、出来上がった作品を聴くと全編にわたって名曲&名演が揃っている。それはジェイコブのヴォーカルとソングライティング(アルバム全曲)、ジャフィのキーボードプレイやバーネットのプロデュースをはじめ、セッションメンバーたちの巧みなサポート力が結集したからであろう。

収録曲は全部で11曲(ボーナストラックが2曲追加リリースされたバージョンもある)。捨て曲などひとつもない紛れもない傑作に仕上がっている。特に冒頭の「ワン・ヘッドライト」(ビルボードチャートの3部門で1位、98年のグラミー賞で2部門受賞)と続く「6th アベニュー・ハートエイク」は、アルバムのハイライトとも言える文句なしの名曲で、どちらもジャフィのハモンドB3による名演が聴ける。また、バーネットのプロデュースだけに曲によってはドブロやペダルスティールが使われており、これらはゲストのレオ・ルブランによる演奏である。ルブランは癌に冒されており、残念ながら本作が遺作となった(95年逝去)。

本作はウォールフラワーズの代表作というだけでなく、90sルーツロックの一つの到達点でもある名作だ。トム・ペティ、ジョン・メレンキャンプ、ブルース・スプリングスティーンらの音楽が好きな人や、70sのSSWやスワンプロック、カントリーロックが好きな親父連中にもぜひ聴いてもらいたいアルバムである。

TEXT:河崎直人

アルバム『Bringing Down The Horse』

1996年発表作品

<収録曲>
1. ワン・ヘッドライト/One Headlight
2. 6thアヴェニュー・ハートエイク/6th Avenue Heartache
3. ブリーダーズ/Bleeders
4. スリー・マーリーナズ/Three Marlenas
5. ザ・ディファレンス/The Difference
6. インヴィジブル・シティ/Invisible City
7. ラフィング・アウト・ラウド/Laughing Out Loud
8. ジョゼフィーン/Josephine
9. ゴッド・ドント・メイク・ロンリー・ガールズ/God Don't Make Lonely Girls
10. エンジェル・オン・マイ・バイク/Angel On My Bike
11. アイ・ウィッシュ・アイ・フェルト・ナッシング/I Wish I Felt Nothing

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