巨人・坂本 転機は高1冬の「退部騒動」/母校・光星学院高関係者が証言、名打者誕生の礎に

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全国高校野球選手権青森大会で本塁打を放つ当時3年の坂本選手。長打力が自慢の好打者だった=2006年7月、青森市

 プロ野球巨人の坂本勇人選手(31)=光星学院(現・八戸学院光星)卒業=が8日、東京ドームで行われたヤクルト戦で左翼線二塁打を放ち、史上53人目の通算2千安打を達成した。兵庫県生まれの「やんちゃ坊主」は、青森県八戸市で過ごした高校3年間で現在の礎を築いた。恩師や友人たちは「劇的に変わった」という高1の冬を振り返りながら、球史に名を刻んだ坂本選手に、3千安打への期待を寄せた。

 「こんなに感動したのは生まれて初めて。あれほど手を焼いた教え子から、勇気と希望をもらった」

 8日、東京ドーム。偉業を見届けた高校時代の監督で恩師に当たる金沢成奉さん(53)=現・茨城県明秀学園日立監督=は思わず、15年前の出来事を思い出した。

 「(部を)辞めます」

 2005年1月。当時高1だった坂本選手は、金沢さんに言い放った。毎日毎日、厳しい練習。年末年始の短い休みで帰省し、地元の友人と遊ぶうちに野球への興味がうせた。鼻にはピアスの穴が開いていた。

 「辞めてええよ」。周りは叱りつけるのかと思ったが、金沢さんはあっさり言って地元に帰した。

 その陰で金沢さんは動いた。親には「あいつには野球しかない。(辞めたら)めちゃくちゃすごい能力を奪ってしまうことになる。だから辞めさせない」と告げ、地元の友人に「野球を頑張らないと駄目だ」「ここで終わったらもったいない」と説得するよう根回しした。翻意させる作戦は成功。1週間後、本人は何事もなかったかのように寮へ戻ってきた。

 「あれから野球に取り組む姿勢から普段の生活まで劇的に変わった。一本芯の通った男に変わった」。当時の部長で現在、八学光星監督を務める仲井宗基さん(50)は述懐する。覚悟を決めた坂本選手は寮の玄関のガラスを鏡にし、毎日素振り千回のノルマを自らに課した。1学年上で全国屈指の好左腕として名をはせた青森山田の柳田将利投手を「絶対に打ったる」と言い、手にマメをこしらえた。そして高2の夏、青森大会決勝で、バックスクリーンへ有言実行の本塁打を放つ。敗れはしたものの「坂本」の名は広く知れ渡った。

 坂本選手の甲子園出場は3年春のセンバツのみ。光星学院に立ちはだかった当時の青森山田の監督・澁谷良弥さん(73)=山形市在住=は話す。「坂本を抑えて甲子園に行った、というのが自慢の一つ。山形で行われた巨人戦の練習に顔を出したところ、律義にあいさつに飛んで来たのが懐かしい。素直でいい性格をしているのも、プロで伸びた一因では」。かつての敵将もそうたたえた。

 「あいつは自分をすごいと全く思っていない。好調な打者がいれば、年下でも助言を求めていく。妙なプライドがない」。光星学院時代のチームメートだった青森中央学院大硬式野球部監督の櫻井祐介さん(32)は、向上心と探究心の強さを絶賛する。回数は減ったが年に一度は食事する仲。酒量は減ったもののめっぽう強く、気配りは欠かさない。年齢や性別を問わず愛されるスターの、ますますの飛躍を願う。

 「巨人一筋で張本勲さんの記録(3085安打)を超えてほしい。あいつなら、きっとやれる」