原監督も驚いた…巨人坂本、18歳の決断 担当者が明かす2000安打バットの変遷

巨人・坂本勇人【写真:Getty Images】

野球用具メーカーSSK岩元正さん「高卒1年目で一番重くて扱いが難しい金本モデルを選んだ…驚きました」

巨人の坂本勇人内野手は8日のヤクルト戦(東京ドーム)で、31歳10か月で史上53人目の通算2000安打を達成した。歴代2位の年少記録で右打者では最年少。坂本がプロ3年目の2009年からバットアドバイザリー契約を結ぶ野球用具メーカー「エスエスケイ(SSK)」の担当者・岩元正さんに、商売道具と言えるバットへの坂本のこだわりや愛情、バットにまつわるエピソードを聞いた。

坂本選手が入団した時から、私は「他の選手とは違う」と思っていました。早い段階でいろんな記録を必ず作ると予感していました。入団1年目に思い出深いシーンがあります。試合で木製バットを使ったことのない高卒1年目の選手は、まず木製バットを振れないんです。できるだけ軽く短いバットを私に求める選手が多いんですが、坂本選手はバットの重さが920グラム。一番重くて扱いが難しい金本知憲選手モデルのバットを選んでいました。高卒の選手に900グラム以上のバットは重いので、890グラムとか900グラム以下を求めるのが一般的なんです。驚きましたね。当時、私から「それでいいの?」と確認させてもらったぐらいですから。

1年目の春季キャンプからしっかり振れていました。当時、坂本選手が原監督とバットの話になった時に、原監督がバットの重さを確認したことがあったそうです。坂本選手が「920グラムぐらいです」と返したら、原監督も「おぉ~バットは重たい方がいいんだ」と驚いたようです。この原監督とのやり取りで「自分が選んだバットは間違いないんだな」と思ったようです。巨人のプレッシャーのかかる環境で、高卒2年目からレギュラーとして試合に出る。私がジャイアンツ担当となったのは1993年からですが、高卒の早い段階で1軍で結果を残すのを見たのは松井秀喜さんだけです。

1年目からいろんなバットを作りました。バットはアルファベットの「A」から型を作っていくんですが、今は11型目の「K」。A型は金本選手モデル。1年目は4型ぐらい作りました。1軍に定着した2年目に高橋由伸選手のバットを握って、「由伸さんと同じ型を作ってください」と。34インチ、重さは910グラムぐらいありました。それを10年間ぐらい使っていました。そのモデルを変えたのは2013年ぐらいでしょうか。由伸選手がバットを全体的に0.3ミリほど細くマイナーチェンジしたのがきっかけです。そのバットを握って、「あれ変わっている。岩(がん)さん、僕もこれにしてください」と。それからはずっと今と同じものを使っています。

バットへの惜しみない愛情とこだわり「すごくバットを大事にしてくれています」

坂本選手が使うのは大まかに金本モデル、由伸モデルの2種類ですが、これまでに、いろんなバットを試しています。例えば筒香嘉智選手、山田哲人選手と同じ型のバットを作ってくださいとか。稲葉篤紀選手や日米野球で来日したホセ・レイエス選手のバットを作ったこともありました。実際に使ってみて、合う、合わないを確かめる。合わないと思ったら、スパンと辞める。最終的には今使っているバットの型に戻るんですが、好奇心というか貪欲というか。何でも受け入れてトライする姿勢には頭が下がるばかりです。

若手の頃は遠征でバットケースに10本入れて持っていったら、帰ってくる時にはバットを半分以上折って帰ってきたこともありました。それが、ここ4、5年ぐらいはほとんど折らなくなりました。年間でも1桁。今、遠征で持っていくのは5、6本が入る小さいバットケースです。これは坂本選手の技術が間違いなく上がっているということだと思います。

バットにも愛情も感じます。有名な話ですが、入団3年目か4年目でしょうか。結果が出なくて打席で三振してベンチに帰ってきた時に、地面に思い切りバットを叩きつけたんです。それでバットが折れてしまった。そしたら、試合後に私のところに来て、「岩さん、バットを自分で折ってしまいました。工場の職人さんにも謝りたい」と。そういうところまで、気を回してくれるんだ、と感心しました。それ以降、バットを叩きつけようとして止めようとしたのは見たことがありますが、それっきりないですね。あと最近よく目にするのはバットを磨いていることです。すごくバットを大事にしてくれていますよね。キャプテンに就任してからでしょうか。一気に変わっていったような気がします。

用具担当者はロッカールームに入ることができます。今年は新型コロナウイルスの影響でなかなかその機会もありませんが、坂本選手は先輩に可愛がられ、後輩には慕われるキャラクターです。やっぱり後輩の面倒見はいいし、先輩には場の空気を読んで冗談や茶化すこともある。それは外国人選手に対しても同じです。

ずっと1軍で試合に出ていると勤続疲労というのもあると思います。私は55歳。坂本選手との年の差は23歳ぐらい違う。ある意味、親子の年齢差で、どこか息子を見る感覚があります。それでも、試合後に「岩さん、このバットで打てました。ありがとうございます」と言いながら渡してもらったジャビット人形は宝物です。次は3000本? 3000本なんかすぐですよ。私はこう信じています。(小谷真弥 / Masaya Kotani)

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