<南風>友人は耽羅王国の末裔

 「済州島に行きませんか」。済州島出身で日本に留学中の青年に声を掛けられ、二つ返事で出掛けました。“韓ドラ”ファンの私にはまたとないチャンス。

 彼は研究テーマの調査で年に数回来県します。私が韓ドラ知識を発揮して「韓国の方はキムチを食べるので肌がきれいですね」「美男美女が多いんですね」と持ちかけても「そういう人もいます」と、根拠のない情報はあっさりと一蹴されてしまいます。

 結婚式の話題では「私は86代目なので、結婚式は何日も続き、数百人が参加しました」とのこと。一体どの時代から続くのかと気が遠くなりました。

 済州島でガイドさんが説明してくれました。「昔、済州島に耽羅(たんら)という独立国がありました。男性の三神人が地下の穴から湧出し、耽羅王国を造りあげた(三姓穴の神話)」そうです。王国は、紀元476年以前から中世にかけて存在し、古代の国名は「済州」ではなく耽羅でした。

 耽羅は百済、新羅に服属し、新羅の滅亡で独立、その後高麗に服属。高麗は耽羅郡を設置し、済州と改称しましたが、旧来の支配者の称号の三姓、高(ゴ)・良(ヤン)(梁)・夫(ブ)を認めていたため、家系は絶えることなく継承されています。中国の元は高麗を制圧し耽羅を直轄地にしましたが後に高麗に返すなど、耽羅は他国に支配され翻弄(ほんろう)された歴史です。

 私の友人はこの耽羅王国の末裔なのです。本人は「昔のことで家系図と地図しか残っていません」と言いますが、まさに由緒ある一族です。

 耽羅王国に関する記述は、日本書紀や司馬遼太郎さんの「街道をゆく」など多くの書籍にあり、琉球との関係も深いことを初めて知りました。友人の一族は現在も定期的に行事を執り行っており、彼から耽羅王国物語を直接聞くのを楽しみにしています。

(青山喜佐子、オフィスあるふぁ代表)

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