ニュートリノ天文学を切り拓いた小柴昌俊さんが死去

ノーベル物理学賞受賞時の小柴昌俊さん。2002年12月12日にストックホルムにて撮影(Credit: Nobel Media AB 2002, Photo: Hans Mehlin)

2002年にノーベル物理学賞を受賞した東京大学特別栄誉教授の小柴昌俊さんが亡くなりました。94歳でした。NHKの報道によると、11月12日の夜に老衰のため東京都内の病院で亡くなったとのことです。

1926年に愛知県豊橋市で生まれた小柴さんは東京大学理学部物理学科を1951年に卒業し、ロチェスター大学大学院でPh.D.を取得。シカゴ大学の研究員を経て1958年に日本へ戻り東京大学原子核研究所の助教授になりますが、宇宙線の国際共同実験における日本の代表として再び渡米。1962年に帰国した後、1963年に東京大学理学部物理学科の助教授となります。

1979年からは陽子崩壊の観測を目指して「カミオカンデ(Kamioka Nucleon Decay Experiment)実験」の準備を開始。1983年には3000トンの超純水で満たされたタンクに1000本の光電子増倍管を取り付けた検出装置が完成し、観測が始まりました。当初の目的だった陽子崩壊の発見には至らなかったものの、実験開始後に観測装置がニュートリノを検出する可能性があることに気づいた小柴さんは、装置の改良を行っていたといいます。

そして小柴さんが東京大学を退官するわずか1か月前の1987年2月23日、カミオカンデは地球から約16万光年離れた大マゼラン雲で発生した超新星「SN 1987A」に由来する超新星ニュートリノを世界で初めて検出。その後もカミオカンデは1989年に太陽ニュートリノの検出にも成功しています。ニュートリノを利用して宇宙を観測する「ニュートリノ天文学」という新しい学問分野に貢献したことが評価され、小柴さんは2002年のノーベル物理学賞を受賞しました。

小柴さんが切り拓いたニュートリノ天文学は、その後も発展を続けています。1996年にはカミオカンデをスケールアップした「スーパーカミオカンデ」(超純水5万トン、光電子増倍管は約1万3000本)が観測を開始。スーパーカミオカンデを用いた観測によってニュートリノの種類が変わる「ニュートリノ振動」を発見した功績が評価され、2015年に梶田隆章さん(東京大学宇宙線研究所所長)がノーベル物理学賞を受賞しています。神岡鉱山跡では2027年の運用開始を目指してさらに巨大な「ハイパーカミオカンデ」(超純水26万トン、超高感度光センサー合計4万本)の建設計画が進められており、カミオカンデの目標だった陽子崩壊の探索をはじめとした研究が国際協力体制のもとで行われる計画です。

また、スーパーカミオカンデも検出感度向上のため超純水にガドリニウム(Gd)を添加した運用を2020年8月に開始。超新星ニュートリノの検出例はカミオカンデによるSN 1987A由来のものが唯一ですが、ガドリニウムを添加したスーパーカミオカンデは宇宙全体で毎秒数回程度起きているとみられる超新星爆発に由来する超新星背景ニュートリノの世界初検出を目指しています。

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Image Credit: Nobel Media AB 2002, Photo: Hans Mehlin
Source: 東京大学 / 東京大学宇宙線研究所 / 神岡宇宙素粒子研究施設
文/松村武宏

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