90歳で博士号、尽きぬ探究心 神大大学院で横浜の建築士 仕事と両立、がん闘病も経て取得

兼子学長(右)から学位記を手渡される白井さん=神奈川大学

 横浜市神奈川区に住む白井正子さん(90)が9月末、神奈川大学大学院歴史民俗資料学研究科で博士の学位を取得した。一級建築士として長年、設計の仕事を手掛ける中で、重要文化財の背景にある人々の営みや歴史に興味を抱き、73歳で同大学院に入学。病気やコロナ禍などを乗り越え、350ページに及ぶ博士論文を書き上げた。「学びたい気持ちは尽きない」。卒寿を迎えてなお探究心を失わないその胸の奥には、「論文を本にしたい」という新たな目標が掲げられている。

◆史実知りたくて

 小さい頃から物作りが大好きだったという白井さん。「終戦によって世の中が一変した。私も好きなことをやろう、と」大学では、建築学を専攻した。20代から設計事務所で設計の仕事に携わり、50代で独立。80代前半まで現役を貫いた。男性ばかりの環境だったが、仕事への思いが揺らぐことは「一度もなかった」と振り返る。

 大学院の門をたたいたのは、16年前の2004年。現場監督として全国を回るうちに、各地の重要文化財に関心を持ったのがきっかけだった。「『建築』と『研究』がどこでつながったのかは自分でも分からない。ただ、『どうしてこう造られたんだろう』と、公式の資料には載っていない歴史や事実を知りたいと思ったのが原点」。入学後は、仕事と両立しながら4年間で修士課程を修了。研究生として1年過ごした後、博士課程へ歩みを進めた。

◆コロナ禍も気力で克服

 年を経てからの大学院生活は、がんで入院したり白内障を患うなど、さまざまな病気との闘いでもあったが、フィールドワークを一つ一つ積み重ねていった。

 特に印象に残っているのは、福井県小浜市の若狭神宮寺(わかさじんぐうじ)の神事「お水送り」に関する調査。同寺の井戸の水が奈良県・東大寺二月堂(にがつどう)の井戸に届くと言われ、同寺の神事「お水取り」と深いつながりを持つ伝統の儀式で、何度か通い詰めて実際に見たところ、「自分たちの手で(行事を)守ろうという気構えを感じた。地方には、豊かに育まれた日本文化が今も根付いていると知り、それでまた(研究に)のめり込んでいった」と明かす。

 ただ、本年度は新型コロナウイルス感染症の拡大に伴う入構禁止といった事態に直面。論文を書くにも図書館に入れず、教授らとの対面での交流も絶たれてしまうなど「投げ出しそうになったことが何度もあった」というが、最後は気力で書き上げた。

◆論文出版 新たな目標に

 「とにかく、好奇心が旺盛。年齢に関係なく学べるということを証明してくれた」と話すのは、指導に当たった佐野賢治教授(70)。神社などにある「長床(ながとこ)」をテーマにした白井さんの論文は「ソフトとハード、つまり民俗学と建築学、双方からの視点による考察だった」といい、「良い学び方だった」と評価した。

 同大学にとって、「90代での博士号取得は極めてまれ」。コロナの影響で学位授与式は中止となったが、兼子良夫学長(65)は11月初旬、白井さんを学長室に特別に招待し、「頑張りましたね。若い研究者たちにも良い影響を与えるはず」とねぎらいの言葉を掛けた。

 学長から学位記を手渡された白井さんは大学に感謝しつつ、「一般の人にも分かりやすいように手を加え、論文を本として出版したい。調査・研究はライフワークとして今後も続けていきたい」と意欲をのぞかせた。

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