【社会人野球】入寮後すぐ休部通告→移籍先も統廃合で消滅…引退決断の34歳野手が挑む最後の大舞台

三菱重工名古屋・吉田承太【写真提供:三菱重工名古屋野球部】

三菱重工名古屋の主将・吉田承太、三菱自動車岡崎の補強選手で都市対抗へ

都市対抗野球大会が22日、東京ドームで開幕する。三菱重工名古屋、広島の2チームは、三菱パワーと神戸・高砂に統合される形で姿を消すことになり、三菱重工名古屋野球部は予選敗退に終わって68年の歴史に幕を下ろす。主将を務めた34歳の吉田承太内野手は日産自動車野球部でも休部を経験しており、今回で引退を決断。三菱自動車岡崎の補強選手として最後の都市対抗に臨む。

関東学院大では、3年秋の神奈川大学リーグ戦で首位打者を獲得。プロまでは距離を感じる中、社会人で野球を続けられるかもしれないと思った。しかし、練習に参加したいくつかの会社からは声がかからなかった。最後の思い出作りのつもりで日産自動車の練習に参加したところ入社が決まったが、入寮直後に年内の活動休止を告げられた。

「2009年の1月に入寮して、憧れの日産に入れたと思ったら2月に『今年いっぱいで終わります』と言われました。今思えば、日産自動車という大企業がチームを手放すというのは大変なことですが、当時はまだ入社前で何が起こっているのか全くわかりませんでした」

入社1年目の選手は優先的に移籍先を探してもらえた。希望の地域を聞かれたが「全国どこへでも行きます」と答えた。それでも、移籍先はなかなか決まらなかった。

「新人が6人いたのですが、僕以外の5人は有名選手ばかりで、どんどん決まっていきました。秋ごろに、三菱重工名古屋の監督、コーチがオープン戦を見に来ていて、声をかけてもらいました。新人の中で最後に移籍先が決まりました」

三菱重工名古屋・吉田承太【写真提供:三菱重工名古屋野球部】

日産で過ごした日々はわずかでも「贅沢な1年でした」

日産に在籍したのは1年だったが、とても有意義な時間だった。

「周りは社会人野球界では有名な方ばかりでした。そんな人たちの声を聞ける。贅沢な1年でした。ある日、先輩に『靴のサイズが合っていない。バッターは足を使って打たなきゃいけない。靴と足のサイズの差があってはいけない』と教えられました。それまで、靴のサイズを気にしたことはなかった。毎日勉強の日々でした」

わずかな時間だったが、名門と言われた日産でプレーした誇りとプライドがあった。その経験を生かし、少しでも長く野球を続けようと移籍をしたが、上手くいかなかった。

「最初の1、2年は本当に結果が出なかった。チームに迷惑をかけてばかりで、早々に引退するかもしれないと思っていました。一日、一日結果を出すことに必死でした。3年目にキャプテンになって、4番を任せてもらえるようになってから、やっと結果も出るようになってきました」

補強での出場も含めて、2018年には都市対抗10年連続出場の表彰を受け、その年の日本選手権では初優勝を果たした。しかし、チームは2年連続で都市対抗出場を逃していた。「4チームも持っている会社は少ないよね……」。周りではそんな話題が出るようになっていた。

「練習中に集合がかかりました。その感じが日産の時と似ていたんですよね。集合の仕方がただならぬ雰囲気だった。統廃合の話を聞いたときは『またこれを経験するのか』と思いました」

統合チームへの移籍が可能でも引退決断「移籍して勝負できる自信ない」

だが、今回は日産の時とは立場が違った。入社11年目、チームでは主将を務める。

「今後の身の振り方の話が聞こえてきて、同期でも先に移籍先が決まるメンバーがいたり、焦る気持ちも出てくる。そんな中でも、日産では練習、試合はひとつになっていた。いろいろな話が飛び交うのは仕方ないけれど、ひとつになって頑張ろうと言いました。新人の選手は、当時の僕の立場と同じです。一緒にご飯を食べながら『状況を理解しているか?』と話をしました。『わからないことがあったら聞いてくれよ』と言ったんですけど、何がわからないかが、わかっていなかったかもしれないですね」

吉田も希望をすれば、統合するチームに移籍が可能だった。野球で会社に恩を返したいという気持ちもあった。だが、引退を決めた。

「自分の年齢を考えたら、移籍して勝負できる自信がなかった。怪我も増えてきましたし、知らない土地、新しいメンバーの中で勝負していくことはできないと思いました。これからは、今まで支えてくれた会社の皆さんに、微力ながら仕事でお返しをしていきたいと思い、引退を決断しました」

主将を5年間務めた経験もあり、組織を動かすイメージは持っている。

「声かけひとつで選手の動きが変わる。どうやってチームを引っ張っていくかは、わかっているつもりです。会社の中で、チームワークの重要な一員になれたらと思っています。野球を通じてできた人脈を生かし、周りの方々と仕事を頑張っていきたい。これまで培ったものを生かして、社業を頑張りたいと思っています」

チームの岐路を2度経験。一方で、社員の応援に支えられプレーするという社会人野球の醍醐味も味わった12年間だった。

「本当に本当の最後なんだなと思います。これまでの思いをぶつけたいです」

社会人野球の酸いも甘いも噛み分けた吉田は、最後の大舞台で野球人生の集大成を見せる。(篠崎有理枝 / Yurie Shinozaki)

© 株式会社Creative2