若き日の坂本勇人は「篠塚、由伸のよう」 当時の2軍首脳が感じ取った天賦の才

ヘッドコーチ時代の2012年に日本一に輝いた岡崎郁氏(中央)【写真提供:読売巨人軍】

体が強くて硬い選手は多いが「勇人は強くて、柔らかい」

2007年1月のことだった。新人合同自主トレを視察した岡崎郁2軍打撃コーチ(当時)は、ティー打撃を見た時に思った。「左足を結構、高く上げているのに、すごくタイミングを取るのが上手な選手だなと思いましたね。良さは消さないで指導していきたいな、と」。視線の先にはドラフト1位で入団した坂本勇人内野手がいた。19歳だった青年は、史上53人目の2000安打を達成するまでの大打者になった。

岡崎氏は80年代後半から90年代前半、中畑清、篠塚和典、原辰徳らと内野陣を形成し、打撃でも中軸を任された。多くの好打者たちを見てきたその目で、坂本は将来1軍で活躍する選手であることは間違いないと確信を持った。イースタンでは高卒1年目77試合に出場し、330打席に立たせた。非凡なセンスを感じていた。

「彼の利腕は左手だったこともあって、篠塚さんや(高橋)由伸のようなしなやかさを持っていました。右打者だけど、右投左打のようなバッティングの柔らかさ、うまさがあったように思います」

右利きの右投右打の場合、左手を上手に使えない選手が多いが、坂本の場合は左手を器用に使う打撃だった。内角球をうまくさばく技術、左手や手首の使い方に岡崎氏は「あの手の抜き方は右利きだったら、あそこまでしなやかに打てないと思います」と振り返る。

2軍の打撃部門は任されていた岡崎氏は技術指導について多くは言わなかった。「高卒の選手というのもありますし、しばらく触らないようにアドバイスをしていました。ただ(最初から)ボールを捉える技術も備わっていました。まるでしなるムチのような打撃。強くて硬い選手はよくいますが、勇人の場合は強くて柔らかい選手でした」。

新人がプロの球に対応できるようにするため、上半身の動きを修正する指導者もいる。だが、岡崎氏は「上半身や手の動き(の悪い癖)は目につきやすいので、指導をしてしまいがちですが、決定的な欠点がある時以外、僕は触るのはよくないと思っています。やるならば、すごく時間をかけないといけない。勇人のいい面をなくさないようにしないといけないと思っていました」とタイミングを取る時の上半身、ボールを捉えるときの腕の使い方などは、当時の首脳陣と話し合い、ほとんどその天性の柔らかさを活かす方法を考えた。

そのため、指導は体力づくりに特化した。まだプロの体とは言い難かった。そのため、下半身強化やランニングなど、考案されたメニューをチームで指示し、成長の道を歩んでいった。

岡崎氏は2軍打撃コーチ、2軍監督を経て、2011年にヘッドコーチに就任【写真提供:読売巨人軍】

1年目の9月に1軍昇格し、中日戦でプロ初ヒットをマークも2軍で感じていた印象

坂本が2軍にいた期間は短い。土台づくりをしていたところで1軍からお呼びがかかった。9月6日。ナゴヤドームの中日戦の延長12回に代打で出場し、ヒットを放つと、それがV打に。2年目からは1軍レギュラーの階段を昇り始めた。

「2軍での成績は圧倒的だったかと言われれば、そうではなかったですから。すぐに結果を残したところは力以上の何かを持っているということです。いろんな選手を見てきた中で感じていたことは、言ったことをすぐできる人はすぐ忘れる。なかなかできなかった人は、忘れない。このどちらかなんですが、勇人はすぐできて、忘れないという印象がありますね」

岡崎氏は2軍打撃コーチ、2軍監督を経て、2011年に原監督のもと、ヘッドコーチに就任。主力打者となった坂本を再び、近くで見ることになった。2012年は日本一になり、そこからリーグ3連覇の立役者となった坂本は2015年シーズンから主将になった。

「2011年……あの年は統一球で、バッターの誰もが苦しんでいました。でも、あの時くらいから、何かを感じて打撃練習に取り組んでいた。やんちゃな部分とものすごい大人なところの両方がありましたね。野球への考え方は年々、しっかりしていった気がします。キャプテンになって、それまでは由伸や阿部の末っ子みたいな立ち位置だったけど、彼の中で段階を昇って、野球の技術も上がったと思います」

体の細かった19歳は13年の月日を経て、強く、たくましく巨人を代表する選手へとなった。

「想像以上に速いペースで安打を積み重ね、すごいと思います。普通にやれば3000安打を超えるペース。これからどんな選手になっていくのか興味がありますね。入団時から知っているので、野球選手だけでなく、人間として大きくなっていく姿を見るのは、本当にいいものです」

岡崎氏はスカウト部長などを歴任し、現在、子供たちに野球の楽しさを伝えるジャイアンツ・アカデミーの校長を務めている。アカデミーでの指導のほか、球団の野球振興部が管轄する野球大会等の運営に携わっている。いつか芽吹いて、大きな花を咲かす――。あの時、活躍を信じた若者が成功するストーリーを見る瞬間は、いくつあったっていい。温かい眼差しで、未来のスター候補たちを今も見つめている。(楢崎豊 / Yutaka Narasaki)

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