永井博士が贈った“平和の種” 熊本で育み長崎へ

永井隆博士ゆかりのコスモスから採った種を持つ長野さん=長崎市、永井隆記念館

 熊本県南阿蘇村立南阿蘇西小(山下洋校長)の6年生21人が、長崎で被爆した医師、永井隆博士(1908~51年)ゆかりのコスモスを育てた。このほど、修学旅行で長崎市上野町の永井隆記念館を訪れ、博士の孫、永井徳三郎館長(54)にコスモスから採れた約500粒の“平和の種”を贈った。
 同館によると、博士が晩年を過ごした如己堂(上野町)の庭には、コスモスが咲いていた。49年に長陽村(今の南阿蘇村)の中学生が修学旅行で病床の博士を見舞い、そのお礼に博士がコスモスの種を贈ったという。修学旅行から戻った生徒が同校などに種を寄付。地元で大切に育てられてきた。
 同校では6月下旬に校内に苗を植え、児童が水やりを続けた。約30センチの高さだった苗も、10月上旬になると約1メートル30センチに成長、ピンクや白の花を咲かせた。児童らは「コロナウイルス禍で世の中は大変。平和の種を贈って長崎を元気づけたい」などと考え、種の寄贈を決めた。
 子どもたちを迎えた永井館長は、原爆で負傷しながらも被爆者の救護活動に奔走した博士の生涯を講話。種を手渡した6年の長野実緒さん(12)は「博士のように他の人を優先できる人になりたい。来年訪れる6年生にも、平和への思いを受け継いでいきたい」と話した。永井館長は「天国にいる隆も『自分の思いがコスモスを通じてつながっている』と喜んでいるだろう。子どもたちの平和の思いを大切に、花を咲かせて応えたい」と語った。
 児童が贈った種は、如己堂内で育て、来年訪れる同校6年生に手渡すことを検討している。

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