ラルシュかなの家のコミュニティ生活

第二回 嘆きは踊りに変わる

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聖母の騎士社は印刷出版業務を行うことを目的として長崎県長崎市の聖母の騎士修道院内に設置されているキリスト教の出版社です。

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私は心配性で良く自身の未来の不安に囚われます。学生時代に家族から「また嘆いている」と言われたこともあります。しかし嘆きは必ずしもネガティブなものではないと思います。なぜなら、嘆きの中でこそ踊りが始まるからです。ナウエンは『嘆きは踊りに変わる』の中で「ダンスの神秘的なことは、その動作が、嘆きの中で始まるということです。癒しとは、聖霊によってダンスへと誘ってもらうこと、すなわち、たとえ痛みのただ中であろうと、神はわたしの人生の指揮を執り、導いてくださるということを改めて信じることです」と書いています。この言葉を読んで、哲学者シモーヌ・ヴェイユが『重力と恩寵』(ちくま学芸文庫)の中で「キリスト教の何よりも偉大な点は、苦しみに対して超自然的な癒しを求めようとせず、むしろ苦しみを超自然的に活かす道を求めているところにある」と書いていたことを思い出します。クリスチャンになったからといって嘆きや苦しみが奇跡のように超自然的に癒されるわけではない。けれども、嘆きや苦しみには超自然的な意味が与えられる。それは単なる嘆きや苦しみではなく、何らかの神秘的な意味がある嘆きや苦しみとなる。そうヴェイユは言っているように私は思います。

障害・ハンディを持つということは嘆きの種になり得ます。私も自身も吃音があるのですが、自分の吃音がなくなればどれほど良いか、何度も何度も嘆き苦しみました。

私がなぜ吃音を与えられたのか嘆いたように、かなの家の障害のある仲間たちも、なぜ自身に障害があるのか、嘆いたことがあるかもしれません。しかし、仲間たちが体を動かして踊る姿は、喜びが溢れています。仲間が踊るとき、自身の不遇への嘆きは消え、音楽に身を委ね、体を動かすことの幸せが現前します。

嘆きが踊りに変わる。それは旧約聖書の詩編の中の話だけではなく、自分自身が生きているこの現実の真っただ中で起こっていることなのだ。かなの家に来て、私はそう感じました。 (ラルシュかなの家 平石祐哉)

聖母の騎士 2019年2月号より一部掲載

社会福祉法人ラルシュかなの家 https://larchejapankana.localinfo.jp/