工業地帯を支えて56年

タンク車を力強く引いて神奈川臨海鉄道浮島線を走るディーゼル機関車

 【汐留鉄道倶楽部】大工場のそばを通ると、鉄道路線図に載らない線路を見かけることがある。工場の原料や製品を運ぶ貨物列車専用の線路だ。その多くは非電化の単線で、中には草が生い茂り、まるで廃線跡のような姿の線路もある。決して存在を主張せず、むしろ目立たないよう潜んでいるかのようだ。貨物線を見る小旅行のため、京浜工業地帯の一角をなす川崎市の工場街を訪問した。

 京急川崎駅から東京湾方面に向かう京急大師線に乗り、終点の小島新田駅で下車した。改札を出て目の前にある歩道橋を上ると、いくつもの線路を見下ろせた。ちょうどこの付近は川崎貨物駅の東端にあたる。小島新田駅から見て手前はJR貨物、奥は「かなりん」こと神奈川臨海鉄道の線路で、ちょうど真下にJRの海底トンネルの出入口が見える。

 JRの線路は、北方向へは海底トンネルを抜けて東京貨物ターミナルまで行き、南は鶴見線の扇町駅を経由して全国各地へつながっている。歩道橋から見渡す限り何本もの線路が南に向けて並ぶ広大な敷地なのに、近くに見えるのはレールばかり。車両は遥か遠くにしか見えなかった。かつては貨車がぎっしり集まっていたのだろう。小旅行のスタートから貨物列車の栄枯盛衰を肌で感じるとは…。

 歩道橋を渡ると、かなりんの線路を金網越しながら地上レベルから観察できる。「ポッ」という汽笛が聞こえた。南に目をやると、ディーゼル機関車が貨車の入れ替え作業に励んでいる。こつこつと編成を組んでいるようで、機関車は南方向から数両の貨車を北へ引っ張っていき、停車したと思ったらすぐに南へ押し戻していく。これを何度も繰り返していた。

 さらに南へ進むと、かなりんの機関区があった。同社の主力は国鉄のDD13に似た形をしたディーゼル機関車だ。格納庫の外に休憩中の機関車が1両、内側には整備中らしき機関車がちらりと見えた。保線用と思われるDBタイプの小さな機関車もいた。こぢんまりとしているため、全国有数の工業都市にありながら、ローカル線の車庫のような風情を感じた。

 さらに南へ進みたいところだったが、ここで線路沿いの路地は東へ折れており、名残惜しいが貨物ターミナルを離れた。

 かなりんは川崎と横浜に路線を持っており、このうち川崎貨物駅からの路線は2本ある。東へ続く浮島線と南へ向かう千鳥線だ。地図を頼りに千鳥線を目指して大通りを歩いた。

大通りの踏切をゆっくり進む神奈川臨海鉄道千鳥線の貨物列車

 道路の右は清掃工場やJR貨物の関連施設、左は大規模な工場が続く。車が絶え間なく行き交う一方、歩行者はほとんどいない。コンビニや飲食店もない。だんだん退屈になってきたところで千鳥線の踏切と交差した。非電化の単線。「ザ・貨物線」のたたずまいに、退屈な気持ちは吹き飛んだ。

 千鳥線は工場街を走るだけあって、トタンの壁をした大きな建物やタンクの脇、ベルトコンベアー状の設備の真下をくぐり抜ける区間など、絵になりそうなスポットがいくつもあった。運河を渡る鉄橋は、下に水面が広がるだけでなく、線路の上をパイプが横切り、脇には巨大タンクが立っていた。いかにも川崎の工場街らしい風景だ。できればタイミング良く水鳥が飛んでくるとか作業船が通過するとか、何かワンポイント加われば、さらに絵になる。

 この鉄橋の先にある踏切に興味を持った。トラックがひっきりなしに走る広い道路を、線路が斜めに横切っている。しかも遮断機が無い。住宅街や商業地では見られない景色だ。ここで写真を撮ることにした。

 しばらく待つと警報器が鳴った。列車の姿が見える直前に、長い汽笛が聞こえてきた。蒸気機関車の「ボー」とも電気機関車の「ピー」とも異なる「ポー」という低音の汽笛。哀愁を感じずにはいられない。道路脇から顔を出したディーゼル機関車は、路面電車よりもゆっくりに感じる速さで道路を渡っていった。

 かなりんは1963年に開業した。当初は川崎地区に3路線あったが、2017年に「水江線」が廃止されて2路線に。全国屈指の工業地帯であっても鉄道の経営は厳しいようだ。残る2路線には、いつまでも元気に活躍してほしい。

 ☆寺尾敦史(てらお・あつし)共同通信社映像音声部

 ※汐留鉄道倶楽部は、鉄道好きの共同通信社の記者、カメラマンが書いたコラム、エッセーです。

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