「はやぶさ2」に三菱重工業長崎造船所の“技術” 宇宙機器開発に実績

はやぶさ初号機の模型を持つ浦町さん(左)と、はやぶさ2に搭載したものと同型のスラスターを持つ田中さん=諫早市津久葉町、三菱重工業長崎造船所諫早工場

 探査機「はやぶさ2」が12月6日にも小惑星りゅうぐうの岩石試料を運んで地球に帰還する。機体の姿勢や軌道を制御する装置を開発製造したのは、諫早市の三菱重工業長崎造船所諫早工場だ。長崎は同社が宇宙機器事業を始めた地。伝統と実績を受け継ぐ技術者は、世界が注目する今回のミッションを成功させるため、試行錯誤を重ねてきた。

 はやぶさ2に搭載した“県産”の装置は、燃料タンクや配管、バルブ、スラスター(推進装置)12個などで構成。タンクはチタン製の球形で重さ5キロと軽く、燃料40リットルを積み込んだ。燃料と酸化剤を混ぜて燃焼させ、スラスター下部にある円すい形のノズル(直径約8センチ)から噴射する。技術者は運用にも関わっている。
 スラスターはニオブ合金という耐熱性レアメタル(希少金属)製。はやぶさ初号機よりも、燃焼ガスの連続噴射可能時間を30秒から60秒に伸ばした。そのままでは温度が3千度を超えて本体が溶けてしまうため、別の配管から冷たい燃料を噴き当て、千度以下に抑える。
 宇宙事業部技術部液体ロケットエンジン設計課上席主任チーム統括の田中伸彦さん(43)は「冷却用の穴は髪の毛サイズ。大きすぎれば限られた燃料を使い果たし、小さすぎても冷却が不十分になる。ギリギリの調整をした」と話す。
 同課主任の浦町光さん(33)は県立長崎北高卒。東京大大学院生のころ、初号機のプロジェクトマネジャーを務めた川口淳一郎氏の指導を受け、小惑星イトカワからの帰還劇も見守った。入社して最初の仕事が、はやぶさ2の設計。当初は「不安しかなかった」。納期が迫る中、徹夜で組み立て作業をこなし、ロケット打ち上げの際はJAXA(宇宙航空研究開発機構)職員から「よく間に合ったな」と言われた。通信が正常に始まり、ようやくひと息付けたという。
 昨年2月22日、浦町さんはJAXA宇宙科学研究所(相模原市)の管制室にいた。モニターの折れ線グラフがタッチダウン(着陸)を知らせると、一斉に拍手と歓声が湧いた。だが、初号機が着陸後に燃料が漏れ、制御不能となり、交信も一時途絶えた教訓がある。浦町さんは、機体が地表の砂を採取し上昇、トラブル無く元の空間まで戻ったかをチェックし続け、30分後ようやくガッツポーズした。
 はやぶさ2は同4月、爆薬で金属弾を打ち込み人工クレーターをつくった。飛び散る破片を避けるため、りゅうぐうの裏側に隠れるのに連続噴射性能が生かされた。同7月の再着陸と地下岩石の採取も「スムーズに」完了した。
 はやぶさ2は岩石入りカプセルを地球に投下後、次の小惑星に向かう。諫早の2人も次を見据えている。2022年度にJAXAが打ち上げを計画している月面探査機は、海外で調達するレアメタルではなく、比較的安価なセラミック製スラスターを開発中。「はやぶさ2が成功すれば海外に販路が広がる」と期待を膨らませる。浦町さんは「より多くの人が使いやすい機器をつくり、宇宙開発を後押ししたい」と話した。
 三菱重工は戦前、長崎でロケット戦闘機「秋水」のエンジンをつくり、1953年に液体ロケットエンジンの研究開発を再開。宇宙機器事業がスタートした。71年、愛知県にロケット部門を移管したが、姿勢制御装置部門は残し、91年に諫早工場が完工した。これまでにロケットや衛星向けにスラスターを500基以上納入した。


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