驚きの連続「性差の日本史」展

歴博、売買春にも切り込む

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田村文

共同通信記者

田村文

共同通信記者

1965年生まれ。89年共同通信社入社。大阪支社社会部、長野支局、名古屋支社編集部、社会部などを経て、97年12月から2018年6月まで文化部に在籍した。放送、演劇、女性、労働、教育などの担当を経た後、最も長く担当したのが文芸。現在は「47ニュース」で「新刊レビュー」を執筆中

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 えっ⁈ これ、ホントに歴博の展覧会なの?

国立歴史民俗博物館の企画展示「性差(ジェンダー)の日本史」の展示室入口=12月3日

 驚きの連続だった。千葉県佐倉市の国立歴史民俗博物館の企画展示「性差(ジェンダー)の日本史」(~12月6日)。もうすぐ閉幕する展覧会だが、ぎりぎりに行けてよかった。男性による正史の中から女性の姿を拾い上げ、果たしてきた役割と女性への抑圧に光を当てた。その象徴ともいえる売買春にも迫っている。(田村文=共同通信記者)

 歴博の来館者といえば、ふだんは中高年の男性が目立つが、今回は若い女性やカップルが多い。新型コロナウイルス対策で事前予約制にしたが、連日満員となっている。 図録は既に4刷、計7千部を発行しており、5刷も視野に入っている。歴博史上、こんなことは初めてだという。

企画展示「性差(ジェンダー)の日本史」の図録表紙

▽洛中洛外図の女性は2割

 プロジェクト代表の横山百合子教授に話を聞いた。

 歴博の企画展示は、共同研究の成果を発表する形で開く。「ジェンダー」はテーマとして初めてで、22人もの研究者が集まった。

「今まで一度もジェンダーの研究をしたことがない」という人が3分の1もいたが「それが結果的に良かった」と横山さん。

国立歴史民俗博物館教授の横山百合子さん=12月3日

 「ジェンダー史という特別な分野があると捉えるのではなく、自分の専門分野や方法論の中に、ジェンダーの視点を入れる実験をしようと呼びかけた。そうしたら、これほど見えるものが変わるんだと分かったんです」

 これまで何度も使ってきた資料の見せ方にも新しい視点が加わった。例えば歴博所蔵の「洛中洛外図屏風『歴博甲本』」(16世紀前期、レプリカ展示)」。描かれている1426人の人物のうち、女性は約2割だという。「東山名所図屏風」(歴博蔵、16世紀後期)もある。それらに描かれている女性たちの幾人かをピックアップして、何を仕事とし、その場面で何をしているのかをつまびらかにした。

東山名所図屏風(第2扇)(部分)16世紀後半、国立歴史民俗博物館蔵

 横山さんは日本近世史が専門。10年ほど前から遊廓に興味を持ち調べ始めた。

 「遊廓が、社会システムの中にどれだけ奥深く組み込まれているかが分かってきた」

 それが、この共同研究・展示につながった。

▽区別から分離、そして排除へ

 展示を見ていくと、古代から中世、近世、近代へと、男女の「区別」が「分離」になり、「排除」へと変わっていくことがくっきりと浮かび上がる。

 卑弥呼に象徴されるように、古代の王は男女どちらもいた。考古学による埋葬例の分析からは、弥生時代末期の女性首長は全体の3割から5割いたと推定されている。政治的集会の場にも男女が区別なく参加した。だが古墳時代中期以降、女性首長の数は減っていく。律令国家が形成される中で、男女の区分は制度化されていく。

 近代に入ると、女性は政治の場から閉め出される。明治政府は女性天皇を否定し、男系による皇位継承を定める。女性の政治参加(参政権)も認めなかった。「奥」や「大奥」として政治に関与していた近世に比べても、女性排斥の度合いは高く、政治的存在としてはほぼ全否定された。

▽芸娼妓解放令が生んだ蔑視

 圧巻は売買春に焦点を絞りこんだ研究だろう。ジェンダーに関わる政治や労働の展示とは別に、「性の売買と社会」と題したテーマ展示として歴史を通観した。博物館の展示としては、これまで例がないのではないか。

 日本で職業としての売春が生まれたのは9世紀後半。「遊女」と呼ばれるようになっていくこの女性たちが“解放”されるのは、1872(明治5)年の「芸娼妓解放令」によってである。

 「近世的な売買春制度は解体されたけれど、この後の遊女たちは『自ら売春するみだらな女』とみなされるようになり、社会からの蔑視のまなざしを生みだした。遊女たちの立場はよりつらいものになった可能性があります」

 横山さんはそう語る。

▽「ネコメシ」と「オトコサマ」

 滋賀県・八日市新地にあった貸座敷「清定楼」に関わる資料の展示に衝撃を受けた。

 清定楼の神棚に祀ってあったという「オトコサマ(男根神)」は陶製で男性器の形をしている。説明書きにこうあった。

 「はじめて客をとる女性は、浴場で身を清めたのち身につけた肌襦袢と腰巻を楼主にはぎ取られ、土間に蹴落とされた。蹴落とされた女性は、木椀のなかの通称『ネコメシ』を手を使わず舌を出して食べた。これは、人間界から畜生界に身を入れたことを意味する儀式だという。土間での儀式がおわると、オトコサマをつかって実技を教えられた」

 性病予防のため、女性が局部を洗浄する洗浄器も展示してあった。

滋賀県八日市遊廓清定楼の娼妓の生活用具(洗浄器)大正~昭和期、大阪人権博物館蔵

 遊廓は戦中も戦後も持続する。敗戦直後、政府は占領軍向けの性的慰安施設を設置する。「軍人には性欲のはけ口が必要」という政府の発想は一貫していた。

 図録には、「買う男」(遊客)の数の推移が詳細に記されている。1920年代(大正から昭和初期)、1年間に遊廓で女性を買う男は延べ2200万人前後だったが、30年代後半には3千万人を突破する。また29年の調査では、朝鮮における遊客の8割は日本人男性だった。日本は買春大国だったのだ。

▽村木厚子さんも展示

 近代から現代にかけての展示では、工場や炭鉱で働く女性の姿が登場する。46~49年、GHQ/SCAP(連合国軍最高司令官総司令部)に勤務したミード・スミス・カラスの業績にも触れていて、興味深い。戦後に新設された労働省の婦人少年局の業務を推進し、労働基準法の初期の理念としての「同一賃金同一労働」や組合活動の女性参加など、労働環境の改善に尽くした人物である。彼女が離任時に受け取った手紙からは、彼女と日本人女性たちとの交流の様子が伝わってくる。

ポスター「男女同一労働同一賃金になれば」労働省婦人少年局婦人労働課、1948(昭和23)年、メリーランド大学ゴードン・W・プランゲ文庫蔵

 そして、最後に登場するのが、元厚生労働事務次官の村木厚子さんだ。動画でこの企画展について語る。「怖いと思ったのは、だんだん社会が近代化し、前進していくそのプロセスのなかで、制度が確立し、そのたびに表の世界から女性が排除されていくっていうこと」「制度ができる前の女性の能力とか、男女の役割とかっていうのは、もっと多様で豊かだった」

村木厚子さん

 横山さんは言う。「村木さんは、政治空間における女性の到達点。本人に面と向かってはいえませんが、実は彼女も展示資料のお一人なんです」

 ある若い女性来館者はSNSに、おおよそ次のようなことをつづっていたという。

 「ジェンダーの規範を破ることに対する葛藤があって、苦しんでいたけれど、展示を見て『2000年のご先祖さまがついている』と思い、勇気が湧いた」

 横山さんは「今の若い女性も男性も、平等の建前の中で感じる同調圧力やジェンダーにかかわる抑圧に苦しんでいるのではないかしら。そういう人たちに、歴史学が少しでも勇気を与えることができたのだとしたら、うれしい」と話す。

 最後に横山さんに逆に質問された。

「それにしても、なんでこんなに反響があったんだと思いますか」

 コロナ禍のいま、私たちは日々の情報に振りまわされ、為政者の政策に翻弄(ほんろう)され続けている。この企画展はジェンダーの視点から、歴史にラジカルに切り込んだ。それによって価値は反転し、見える風景が変わる。自分の位置が少しだけつかめた気持ちになれる。

 それこそが真実を追究する学問・研究のあるべき姿であり、人々の求めていることなのではないか。

以下、国立歴史民俗博物館歴博からのお知らせです―。

 企画展示「性差(ジェンダー)の日本史」(12月6日まで)は会場内の混雑防止のため、webからのオンライン入場日時指定事前予約を受け付けています。事前予約をされた方は、ご希望の時間にご入室いただけますが、ご予約のない方も、定員に達していない時間帯は、当日来館しての時間指定が可能です。ただし、事前予約が優先となり、来館時には予約枠が定員に達して入室いただけない場合がありますので、ご了承ください。詳細は以下のアドレスで。https://www.rekihaku.ac.jp/exhibitions/project/procedure.html