根本的な治療法がない 差別や偏見 口をつぐむ親、子、孫 カネミ油症被害者支援センター アンケート<4>

油症2世の次世代被害者(左手前)から症状などを聞き取るYSCの大久保さん(中央)と山岡央さん(右)=2月、五島市内(画像は一部加工)

 カネミ油症の次世代被害については、早くから患者たちの間で確証がないままささやかれてきた。1968年の油症事件発覚後は、肌が浅黒く生まれる「黒い赤ちゃん」が地域に衝撃を与え、また数十年後に生まれた子にも多様な病が相次いできた。
 「油症は自分だけで終わっていない」。親たちは確信に近い思いを抱く一方、わが子には油症のことを伏せる場合が多かった。根本的な治療法がなく、また差別や偏見を恐れたからだ。公的な調査もないまま、次世代被害は潜在化した。
 今年2月、五島市内。次世代健康調査を始めたカネミ油症被害者支援センター(YSC)の大久保貞利(71)は、油症2世で未認定の40代女性と向き合っていた。「気分が良好な日はない。小さい頃から湿疹が出て、傷も治りにくい」と語る女性。しかし、こうして次世代本人と会えるのは極めてまれだという。
 6月までの半年間で調査した対象者は49人。このうち、次世代本人が対面での聞き取りに応じたりアンケート用紙に記入したりしたのは9件にとどまる。他は親や祖父母が、把握する子や孫の現状を答えた。
 世界でも類を見ないダイオキシン禍「油症」は、被害者の結婚や出産など人生の節目の都度、大きな不安を与える。実際、次世代被害の可能性を伝える長崎新聞の記事にはインターネット上で、被害者の出産などを否定する差別的コメントが書き込まれた。被害者の苦悩を無視した価値観が、ますます声を上げにくい風潮を醸成しており、親や次世代本人に口をつぐませている。
 今回、調査対象者の親らのうち、五島市で当時汚染油を直接摂取した人は8割以上を占めるが、子や孫らの大半は半世紀の間に島を離れ、九州や関西、東海など全国各地に移住している。カネミ油症被害者五島市の会会長、旭梶山英臣(70)は「子や孫の多くは仕事や進学で親元を離れた。そして(親世代や次世代の)大多数が結婚相手に油症のことを伝えていない」と明かす。調査でも親世代から「子に油症の話をしていないので協力できない」と断られたり、親が子に送ったアンケート用紙の返信がなかったりするケースも複数あった。
 調査の実施は難航した。それでも大久保らは「次世代被害を放置するわけにはいかない」と、プライバシー保護に細心の注意を払いながら被害者を訪ねて回った。そんな熱意に応えるように、次世代被害者や親たちは1人、また1人と重い口を開き始めた。


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