笑顔で向き合おう、ジョン・レノン生前最後のシングルは遊び心満点!

1980年 10月24日 ジョン・レノンのシングル「スターティング・オーヴァー」が英国でリリースされた日

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運命が変わってしまった曲「スターティング・オーヴァー」

もし40年前の今日1980年12月8日月曜(日本時間では9日火曜昼)、ジョン・レノンが亡くなっていなければ、「スターティング・オーヴァー」はイギリスで8位止まりだった。そして6位まで上がっていたアメリカでも果たして1位を取れていたかは分からない。

40年前の今日、中3だった僕は期末試験中で、夜の勉強に向けて遅い昼寝をしている中、TBSの18時半からの『JNNニュースコープ』の古谷綱正キャスターの声でジョンの訃報に接し飛び起きた。母が “これでビートルズの再結成が無くなった” と話していたが同じ想いだった。

この少し前に写真誌『写楽』の表紙でジョンとヨーコ・オノを見て、僕はこの元ビートルが日本人と結婚していたこと、そして40歳になったことを知ったのだが、これが生前のジョンについての最初で最後の記憶となった。

40年前の今日から運命が変わった人は、僕も含め無数にいるであろう。そしてジョンの曲で最も運命が変わったのが、生前最後のシングルとなった「スターティング・オーヴァー」ではないだろうか。

復帰アルバム「ダブル・ファンタジー」からの先行シングル

「スターティング・オーヴァー」は5年振りの復帰アルバム『ダブル・ファンタジー』からの先行シングルとして、1980年10月24日にイギリスで、同じ月にアメリカで、そして日本では11月10日にリリースされている。

イギリスではジョンのソロ初のNo.1ソングとなり、アメリカBillboardチャートでもジョンのソロ2曲めのNo.1を記録、実に5週もの間トップを保ったのだが、改めてはっきりさせておきたいのは、イギリスで1位になったのは12月20日付、アメリカでは翌週の27日付、いずれもジョンが亡くなった後のことであった。

生前のジョンはこの曲がイギリスで8位止まりで下降し始めたこと、アメリカでは6位まで上昇してきたことしか知らなかった。ジョンはアメリカでのNo.1を目指していたが、その栄誉に浴することは叶わなかった。

僕が「スターティング・オーヴァー」を耳にしたのはジョンが亡くなった後。この曲を純粋なジョンの新曲として聴く機会が無かったのは残念という他ない。

冒頭の鈴の音はジョン・レノン追悼のため?

当時、冒頭の鈴の音が、ジョン追悼のために付けられたのではないか、とまことしやかに噂されていた。もちろんそんなことはなく、これはジョンとヨーコのニューヨークの自宅にあったWishing Bell “願いの鈴” の音だった。

1970年、ジョンのビートルズ解散後初のアルバム『ジョンの魂(John Lennon/Plastic Ono Band)』の1曲め「マザー」は鐘の音をスローで再生した重苦しい音で始まっていた。それから10年経ち、軽くなった鈴の音でジョンは明るい未来、希望を表現しようとしたのであった。『ダブル・ファンタジー』の、愛息ショーンに捧げられた「ビューティフル・ボーイ」のイントロにもこの鈴の音が再び出てきて、この音に込められた想いを雄弁に語っている。

その鈴の音が追悼のために付けられたと思われてしまったとは、何ともやるせない。

「この曲をジーン(・ヴィンセント)、エディ(・コクラン)、エルヴィス(・プレスリー)、そしてバディ(・ホリー)に」

2010年にヨーコと元のアルバムの共同プロデューサー、ジャック・ダグラスによって “ストリップド・ダウン” = “装飾を外してリミックスされた” この曲の冒頭で、ジョンがおどけて語る。再出発にあたってジョンは、オリジナル曲ではそれまで使ったことの無かった50年代のスタイルをこの曲で採り入れた。しかしそのサウンドは1980年にも決して古臭くなく、僕もむしろ新鮮さを感じた。

ポール・マッカートニーへの対抗心から作り上げられた曲?

そして歌詞なのだが、今回この原稿を書くにあたってウィキペディアを覗いてみたら面白い記述を見つけた。
歌詞の一部に「It’s time to spread our wings and fly Don’ let another day go by my love It’ll be just like starting over」と集中的にポール・マッカートニーに関連する言葉を入れていることから、ポールを意識している可能性が示唆される。
…ポールの70年代のバンド名ウイングスを意図的に入れたのではないかという指摘については生前のジョンが笑いながら否定している。しかし「アナザー・デイ」(1971年)と「マイ・ラヴ」(1973年)の2つの曲名が入っているとなるといよいよ意識している可能性は否定出来ないかもしれない。特に「アナザー・デイ」は1971年にジョンが「ハウ・ドゥ・ユウ・スリープ(眠れるかい?)」という曲で、

 きみの傑作といえば「イエスタデイ」だけだ
 消えちまった今となっては「アナザー・デイ」(ただの一日)ってわけさ

と皮肉っている時にも使っていることからも、1980年に全く意識しなかった可能性は低いのではないだろうか。

別稿『ポール・マッカートニーのテクノポップ、YMOとジョン・レノンを動かした問題作』でも書いたように、ジョンはポールのこの年の全米No.1ヒット「カミング・アップ」に刺激を受けている。「スターティング・オーヴァー」がポールへの対抗心から作り上げられた可能性は十分にあるのだ。

前述の様に全米No.1を目指していたのも、ポールへのライバル心だったかもしれない。「カミング・アップ」はイギリスでは最高2位で、ジョンもヨーコとの関係に否定的だったイギリスに複雑な想いを抱き離れていたので、居住国アメリカの方での大ヒットを望んでいたと思われる。

立川です… 中央線の車内か駅のアナウンスらしき音声も!

ジョンが亡くなったことで悲壮なイメージが付いてしまった「スターティング・オーヴァー」だが、実は遊び心に溢れた曲ではないだろうか。50年代風しかり、ポールを意識した様な歌詞もしかり、宙に飛んでいくようなイフェクトのかかったブレイクしかり。そのブレイクの後には「… 立川です…」と聞き取れる、中央線の車内か駅のアナウンスらしき音声も聞き取れる。洒落以外の何ものでもないだろう。

愛の再出発を自らの再始動と重ねつつ茶目っ気も満点で、流れるようなキャッチ―なメロディを有し、50年代風というポールとは違うアプローチでヒットを狙った… この曲の特徴を並べてみるとこんな風になるのではないか。ジョンはこの曲を決してしかめっ面ではなく、笑顔で聴いて欲しかったのではないかと僕は思うのだ。

この点で、日本のこの曲への向き合い方は正しかったのかもしれない。1997年にはTBSドラマ『いちばん大切な人』の主題歌となり、その後もCMソングとして何回も使われ、最近では2010年代にテレビ朝日の『マツコ&有吉の怒り新党』でも使われていた。いずれも最初は神聖な曲をと違和感を抱いたが、この一見能天気な向き合い方こそ、生前のジョンが望んでいたのかもしれない。椎名林檎も2002年に秀逸なカヴァーを発表している。

個人的な話だが、「スターティング・オーヴァー」は僕にとってジョンとの出会いの曲であり、80年代不動のNo.1ソングである。それはジョンが亡くなったからというよりは、曲自体の底知れぬ魅力によるものだと思っている。

今年2020年、ショーン・レノンが父ジョンの最新ベストアルバム『ギミ・サム・トゥルース.』で、この曲を40年越しに初めて完全な形でリミックスした。ミュージシャンとしてサウンドプロダクションに満足していなかったと語るショーンのリミックスは、この曲に笑顔で向き合うきっかけになるのかもしれない。

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カタリベ: 宮木宣嗣