ラルシュかなの家のコミュニティ生活 第六回 こころの扉

By 聖母の騎士社

かなの家を初めて訪ねたとき、心で生きる人たちの世界を感じ、新たな扉が私の前に開かれ、その扉の中に入るように導かれていると思いました。ただその時は、開かれるべき扉が私の内にあるということを、まだ知りませんでした。

かなの家での生活が始まり、一日一日が輝いていて、日々新たな出会いがあり、驚きがあり、時に穏やかに、時に心揺さぶられながら過ごしていきました。ある時、なかまの一人が、私の足のふくらはぎのあたりを、日に数回、蹴ってくるようになりました。初めのうちは「痛いからやめてくれ」と伝えていましたが、日が進むにつれ少しずつ蹴る場所が、足の下の方から上の方へと上がってきました。そのようなことが数ヶ月続いていましたが、ある日、かなの家の作業所(まどい)の昼食の時間、私がいつものように他のなかまたちと食事をしている時に、後ろから近付いて来たそのなかまが、私の頭を思いっきり叩いてきたのです。「ぱちんっ!!」と響のいい音が聞こえるとともに、私は「痛てーな!何すんだよー!!」と声を上げていました。

私にとって自分の頭は、大切で重要なもの、自尊心や権威の象徴といった意味を持っていました。そのなかまは、私の心の最も奥深くにある扉に、私が気付かないうちに近づいて、扉を叩き続けていました。私はその扉が何の扉か分からないままで、扉の外で叩き続けているので思わず開けてしまい、私が開けた扉から、そのなかまは扉の内側に入って来たのです。その時からそのなかまは、他のなかまも連れて来て、私がそれまで触れられたくないと思っていた頭を、ペチペチ叩いたり、なでたりするようになりました。

それから間もなく、私はあることに気付きました。かなの家に来るまでの私は、自分の頭を叩かれたり、なでられたりすることを、受け入れ難いものと思っていました。人が私の頭に触ろうとしたり触れたりしてきた時に、怒りや憤りといった感情が瞬間的に沸き上がり、触ろうとしてきた人の手を振り払うだけでなく、言葉で激しく拒否感を示したこともありました。しかし、なかま達が私の触れてほしくない部分である頭に、容易に触れていることに気付くとき、私の内面に変化が起きているという事実に思い至ったのです。その変化とは、自分の努力や思い込みによって、自分を大切で重要な存在であるとすることや、他者との比較によって自分を優れた者、権威を持った者とすることなどの、自分自身で価値を決めたり判断したりすることに基づいた自尊心から、他者との比較や条件付きではなく、ただ存在しているということ、自分の努力や思い込みによらず、ありのままの自分が、大切で重要な存在と認められているということに基づいた自尊心へと変えられたというものです。それらのことに気付いた時、なかま達から少しずつ心の覆いを外されて、自分の目で見たくないと思っていたものを、直視することができるように変えられていました。その直後から、なかま達に頭を触られることは無くなりました。これが、かなの家での生活が始まって一年目に起こったことです。

かなの家での生活が三年目に入ってから、少しずつ体や心に異変を感じるようになりました。その年の春、一人のなかまが胃に癌を患いました。ちょうど同じ頃、私もそのなかまが患ったのと同じあたりが、チクチクと痛むようになっていました。そのなかまが病の進行によって衰弱するのに合わせるように、私の心は暗くなり重くなっていきました。それと同時に、あるなかま達に対して生理的に受け付けられない、近くに居ることも不快に感じる、その様な心の状態になっていきました。同じ年の秋、私は闇の中に生きている様でした。

かなの家では毎年、数日間のリトリート(ラルシュの価値について講話を聞き、沈黙したり、分かち合ったりする時)があります。その期間中、私は私の中にある闇と向き合って過ごしました。その時、何も考えないように努めていました。リトリートが終わり、かなの家に戻ると、いくつかのことが、言葉となって頭の中に思い浮かんできました。私は暗闇の空間に一人で居ると、恐怖心に覆われてしまいます。それは幼児期に躾として、真っ暗な押し入れに入れられたことに端を発していると思われます。そのことによって、私の健全な自尊心が傷つけられ、傷ついた自尊心を自ら回復するために、他者よりも如何に優位で優れた者であるかを、いつも気にしながら生きて来たように思います。私は心の貧しい者ではなく、豊かな者、優れた者であると思い込もうとしながら生きて来ました。その様な私に、近くに居ることも不快に感じるようになっていたなかまから、同じことばを繰り返し言われたり、何度も同じことを質問されたりすると、途端に苛立ち、怒りが湧き上がってきます。そして、なぜその様に反応するのかも分かってきました。その理由は、そのなかまよりも優れた者である自分が、そのなかまと関わる時間は無駄であり、無意味であると無意識に感じているということです。その他にも、優越的な利己心や高慢さによって、自分が確実に正しい、相手が確実に間違っていると確信する時、同じように相手に対して、苛立ちや怒りを感じます。それらのことがリトリートの後で、私の中にある闇から引き出され、光の下に明らかにされてきました。

その後、癌を患ったなかまはこの世を去りました。それから数日が過ぎたある夜、眠っている私の肩の後ろのあたりを誰かが指先でトントンと叩いているのを感じました。その時、私は目が覚めて心の中で誰が叩いているの?と聞きました。その瞬間、それまでチクチクと痛んでいた私の体の部分から、痛みや重たい感じの全てが抜けていくのを感じました。そのなかまが私のところに来てくれて、私の体を癒してくれたのだと信じています。(ラルシュかなの家 湯浅隆昌)

聖母の騎士 2019年6月号より一部掲載

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