何も解決していないセウォル号事件 映画「君の誕生日」の奥にある現実

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 2014年、韓国南西部・珍島沖で旅客船「セウォル号」が沈没し304人が犠牲になった惨事の「後」を描いた映画「君の誕生日」が11月、日本で公開された。韓国映画界の新鋭、イ・ジョンオン監督が、修学旅行中の生徒250人が亡くなった高校があるソウル郊外の街で遺族ケアに携わった経験を基に、遺族や周囲の人びとが喪失感の中を生きていく姿を描いた。悲しみを和らげる一助に、との思いから撮ったという監督は「痛みを分かち合い、先に逝った人を忘れないと決意することが癒やしの道になることを伝えたい」と話す。同時に、遺族の日常を知らせることで、遺族に向けられた「誤解」を少しでも解きたい、とも口にした。誤解とは何か。その言葉の奥には、304人が命を落とすことになった原因をいまも解明できていない現実がある。(共同通信=粟倉義勝)

 ▽痛みの分かち合い描く

 「オアシス」(2002年)や「1987、ある闘いの真実」(17年)で知られるソル・ギョング氏。「シークレット・サンシャイン」(07年)でカンヌ国際映画祭の主演女優賞に輝いたチョン・ドヨン氏。韓国を代表する名優2人が子をなくした両親を演じた作品は、沈没から5年後の昨年、韓国で公開された。試写会で遺族らは、主演の2人と監督に「私たちの日常をよくここまで丁寧に描いてくれた」と涙で感謝を伝えたという。

オンラインインタビューで話すイ・ジョンオン監督=10月、ソウル(共同)

 あらすじはこうだ。高校生の息子スホの死を認める苦しさにさいなまれる母スンナム(チョン・ドヨン氏)の前に、海外赴任中のトラブルで沈没から2年間も帰国できなかった夫ジョンイル(ソル・ギョング氏)が戻ってくる。空白の大きさの前で2人は、スホの妹である娘イェソルをかすがいに、家族の形をかろうじて保っている。そこへ沈没から2回目のスホの誕生日が巡ってくる。スホの友人らが集まる場へおそるおそる足を運び、人びとの記憶の中に生きるスホに出会った2人の心から、抑え込んできた思いがあふれ出す…。

 30分に渡る長回しで撮られたクライマックスの誕生日会のシーンも、イ・ジョンオン監督の実際の経験から生まれた。なぜ痛みを分かち合うことが悲しみからの回復の第一歩になるのか、胸に落ちる思いがするラストに近づいていく。

 映画では残された者にフォーカスが当てられ、取り巻く社会の描写は少ない。韓国政府が給付する補償金の受け取りを多くの遺族が拒んでいることが描かれる程度だ。だが、この描写は、当時の朴槿恵(パク・クネ)政権と遺族の間に強い緊張関係があったことを象徴するものだ。

沈没から2年の慰霊式で並べられた高校生らの遺影=2016年4月、ソウル郊外・安山(共同)

 ▽沈没原因も解明できなかった検察捜査

 対立は、惨事の原因解明なしに幕引きを図った政権の姿勢を遺族が許さなかったことで起きた。

 セウォル号は14年4月16日の午前9時前に急激な右旋回が起きて船体が傾き、浸水が進んで同10時半ごろほぼ水没した。検察は、改造と過積載で船体が不安定だったところに操舵ミスが重なり急旋回が起きたとして船員を起訴している。しかし韓国最高裁は15年11月、検察の筋書きでは転覆はしないと判断。船体に欠陥があった可能性があり、操船の過失責任は問えないと結論づけた。船体は17年3月に引き揚げられ調査が続いているが、急旋回の原因は分かっていない。

 さらに、船体がほぼ水没するまで異常発生から1時間半もの時間があったが、船長(75)と14人の船員は「船室にとどまれ」との船内放送で乗客を足止めしたまま先に脱出し、多数が逃げ遅れた。この経緯も闇の中だ。

 検察は、乗客が死んでもいいとの「未必の故意」があったとして船長を殺人罪で起訴。船長は当時のことは「よく覚えていない」と曖昧な供述を繰り返し、最高裁は検察の主張通りに殺人罪を適用し無期懲役を言い渡した。ところが最高裁判決から約4か月後の16年3月、官民合同の特別調査委員会の聴聞会で、沈没当時、船内で非正規雇用の船長よりも強い権力を持った一等航海士(48)が運航会社の清海鎮海運と携帯電話で連絡を取った後「海洋警察の到着まで乗客を船室に待機させる」方針を決めた疑いがあることが分かった。航海士はこれを否定しながら通話内容は「忘れた」と主張した。

海中から引き揚げられたセウォル号=2017年4月、韓国南西部・木浦(共同)

 船体の大半が海面上にあった時間に現場に到着し船長らを救助した海洋警察警備艇の乗務員らは、乗客多数が船内にいることを認識しながら、脱出を呼びかけたり船窓のガラスを割ったりする救助活動を行っていない。このころ大統領府は「大統領に報告するため」として警備艇に直接電話をかけ、スマートフォンで映像を撮って送れと命じているが、救助を指揮することはなかった。朴槿恵大統領は事故の日、夕刻まで大統領府の居住施設から現れなかった。美容整形施術を受けベッドで横たわっていた疑惑がくすぶっている。

 ▽高圧放水で遺族をなぎ倒した政権

 官民合同調査委のトップを務めた李錫兌(イ・ソクテ)弁護士(現・憲法裁判所判事)は17年春、「大統領が(救助)指揮を執っていれば、軍や民間船舶など、あらゆる手段を動員できたはずだ」と話し、司令塔がなかったことが被害を大きくしたとの認識を示した。しかし、李弁護士がそう話した時、調査委は既に政府の圧力で解体されていた。

 検察は、急旋回と乗客の船内足止めの両方で、乗組員に責任追及の矛先を向け、行政の船体異常の見逃しや、脱出を妨げる外部からの指示があった可能性を考慮せず起訴を急いだ。朴大統領や大統領府の行動は検証もしていない。甚大な人的被害は「失政」の結果だと当時の革新系野党から責め立てられ、一刻も早く事態を収拾しようとした政権の意向が透けて見える捜査だった。

デモで機動隊と向き合う犠牲者の母親ら(左)=2015年5月、ソウル(共同)

 「わが子を失った原因が分からないことをどうして素通りできるのか。不慮の事故なら原因を明らかにし、責任を負うべき人間がいるのなら処罰を。そうしなければ、先に天国へ送ってしまった親として子に顔向けができない」

 高校2年だった李昌鉉(イ・チャンヒョン)さん=当時(16)=をなくした父、李南錫(イ・ナムシク)さん(55)の思いは当時も今も変わらない。父母らは再発を許さないため調査機関による真相究明を行うことを求め、600万筆を超える署名を集め、デモを繰り返した。これに国会が押され、官民合同調査委の設置法が作られた。すると朴政権は、調査対象になる省庁の幹部を調査委に送り込んで活動を骨抜きにし、沈没から2年あまり後の16年6月には調査委は報告書も作成しないまま解散に追い込まれる。この態度に抗議を続けた遺族に政府は補償金の支払いを持ちかけ、応じずにデモに加わった者は催涙剤入りの高圧放水でなぎ倒した。それが、映画の舞台になった時期に韓国で起きていたことだ。

警察からデモ鎮圧用の催涙剤入り高圧放水を浴びせられ苦しむ犠牲者の遺族=2015年5月、ソウル(共同)

 映画にはこうした闘いの場面はないが、補償金の受け取り拒否は、遺族が真相究明を政府に求め抵抗していることを示している。そして、現実の遺族に投げつけられた最もひどい言葉は、受け取り拒否は補償金額のつり上げが狙いだ、というものだった。

 「私がご遺族に接している時、(遺族の心を)知らずに遠くから出ている言葉を聞き、切なかった。だからこの日常をそのまま見せれば、あれほどまで誤解はしないのではないか、(遺族の)痛みが少しは和らぐのではないか、という思いだった」

 映画で、残された者の内面以外のことは努めて抑制的に描いたイ・ジョンオン監督は、オンラインインタビューでも表現を慎重に選んだが、この言葉には力を込めた。

朴槿恵政権の退陣を要求し続いたキャンドルデモ。最前列にはセウォル号沈没犠牲者の遺族が座った=2017年2月、ソウル(共同)

 委員会解散の約5カ月後から始まったキャンドルデモで、沈没の真相究明を妨害したことは朴大統領の「罪状」の一つに挙げられ、遺族はデモの中心にいた。朴大統領は弾劾、罷免に続いて逮捕され、沈没の真相究明を公約に掲げ誕生した文在寅(ムン・ジェイン)大統領の政権下で第2期の調査委が設けられた。しかし「政権は変わっても、末端公務員は変わらず、調査を妨害し続けている」と李南錫さんは怒る。再発防止の可否に直結する重大な疑問は解けないままだ。

 12月9日、韓国国会で、当初の法定設置期間満了を翌日に控えた第2期調査委の設置期間を延長する改正法案が、前政権の流れを汲む保守系野党が抵抗する中で成立した。延長期間は1年半。残された時間は少ない。

海中から引き揚げられ、韓国南西部・木浦に運ばれたセウォル号の船体を見守る犠牲者の母親ら=2017年4月(共同)

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