ベテランの引退は「周りに気を遣わせたらダメ」 プロ21年の森野氏が説く“引き際”

中日で活躍した森野将彦氏【写真:若林聖人】

故障から復帰直後に同じ箇所を痛め「もう終わりだなって」

どんな選手にも、現役に別れを告げる瞬間はやってくる。その多くが球団から戦力外を通告される一方、まばゆい実績を残した功労者は、自ら引退を決断することも多い。ただ、その“特権”こそが、判断を迷わすという。中日で21年間プレーし、2017年限りで引退した森野将彦氏も、自ら決断したひとり。自身は今年からプロ野球解説者となり、10月には初の著書「使いこなされる力。名将たちが頼りにした、“使い勝手”の真髄とは。」(講談社)を出版。プロ野球を外から見るようになり、あらためて引き際の難しさを感じている。

筋肉が断裂した瞬間に、気持ちの糸も切れた。2017年8月、2軍戦に出場していた森野氏が、打席から一塁へ走り出した瞬間だった。7月の1軍戦で右太もも裏に肉離れを起こし、リハビリをへて復帰したばかり。再び同じ箇所を痛め、心は固まった。

「またやりましたわ……」

ベンチに戻り、当時2軍監督だった小笠原道大氏にそう告げた。「怒りなのか、悲しみなのか分からない感情が込み上げてきてね。もう終わりだなって。何が無理って、プレーすることより、またリハビリをするのが気持ち的に無理だった」。当時39歳。不惑を前に、21年間の現役生活に終止符を打った。

腹を決めたのは8月だったが、実際に球団から引退が発表されたのは9月21日。「若手たちも見ているから、しっかりリハビリに取り組む姿は見せないと。最後までやり切らないといけない」。当時1軍監督だった森繁和氏から直接電話があったのが9月初めごろ。「来年どうするんだ?」の問いかけに「もうやめます」と即答した。

今季限りで現役を引退した元同僚の吉見一起は「素晴らしいやめ方だった」

「もっと早く電話をかけてくれてもよかったのに」

今だからこそ、森野氏は笑って振り返る。やはり自分から率先して「やめます」とは言いにくいもの。かと言って、周囲は花道を汚すまいと配慮してくれるだけに「気を遣わせることになってしまう場合がある」とも。森野氏の場合は、森監督が水を向けてくれたことで、その後の引退試合の準備なども比較的スムーズに進んだ。

ただ、ベテランになればなるほど、決断のタイミングが難しくなるのも理解できるという。「実際、俺も体がしっかり治ればまだできると思っていた。諦められない気持ちはどこかにあるのは間違いない」。チームを長年支えてきた功労者に対して球団側も無下にするわけにはいかず、決断が後手に回るケースも。それを避けるためにも「1年前に決めておくくらいでいいのかな。その年でやめるのか、さらに1年やりたいのか。球団に伝えておくべきだと思う」と持論を語る。

今季も、球史を彩ってきた名選手たちが現役のユニホームを脱いだ。中日で同僚だった吉見一起投手の決断は「素晴らしいやめ方だった」と森野氏。今年36歳の右腕が引退会見で語った言葉に、胸を打たれたという。

「吉見は会見で『チームの中で競争に勝つことができなかった』と言った。それは、自分で自分の順位づけができている証拠。歳をとってくると、意外と自分の順位が分からなくなる。だから、やめられなくもなる」

もちろん決断のタイミングは選手それぞれで、正解はない。余力を残して第一線を退く場合もあれば、ボロボロになるまでとことん現役を続ける場合もある。ただ森野氏は「周りに気を遣わせるのはダメだね」とも。その引き際こそが生き様を象徴するだけに、余計に選手たちは悩むのかもしれない。(小西亮 / Ryo Konishi)

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