「日本に勝ったら首相に呼ばれた」インド卓球の歴史が変わった瞬間<S.グナナセカラン#2>

「インドが急成長」。

これは人口やビジネスのことではない。卓球についてだ。

歴史の転換点は2018年「インド対日本」の一戦にあった。

日本戦での歴史的勝利

今季からTリーグ岡山リベッツに加入したサティヤン・グナナセカランに“キャリアのターニングポイント”について尋ねると、「アジア大会での日本戦」と返ってきた。

写真:サティヤン・グナナセカラン(岡山リベッツ)/撮影:伊藤圭

時は2018年8月。アジア競技大会初出場のグナナセカランはジャカルタの地にいた。

「この大会で結果を残せれば東京五輪も見えて来る。絶対に勝つ」と自らにプレッシャーを懸けていた。ところがその気合いは空回りしてしまう。

初戦のチャイニーズ・タイペイ戦では相手エースの荘智淵にストレート負け。チームも敗れてしまう。普通であればここで崩れてしまいそうなものだが、グナナセカランは違った。

「一度負けたのだから、もう失うものは何も無い」。

そう思えたというグナナセカランは、以後の試合では別人のようなプレーを見せる。

破竹の勢いで予選リーグのベトナム戦、UAE戦で勝利し、チームの予選2位通過を決めるとチームの銅メダルがかかった決勝トーナメント1回戦(準々決勝)でも、グナナセカランは輝きを見せる。

格上の日本戦でグナナセカランは上田仁に3-0、松平健太に3-1で勝利。グナナセカランの歴史的2勝でインドが日本を3-1で倒したのだった。

グナナセカランは勝利を決めたその時、気づけばラケットを天高く放り投げ、跪(ひざまず)いて咆哮していた。インド史上初、アジア大会での銅メダルという歴史的快挙を成し遂げた瞬間だった。

写真:サティヤン・グナナセカラン(岡山リベッツ)/提供:ittfworld

「あの時、日本にはものすごくプレッシャーがかかっていたのが伝わってきた。逆に僕は負けるのが怖くなかった。アジア大会という大舞台、初出場、メダル決定戦、勝つか負けるか。そういうことは全く頭に無くて、自然体で何も考えずにプレーしていた。いいプレーをすること、目の前の1ポイントを取ることだけにフォーカス出来ていた」。

俗に言う“ゾーンに入る”という状態で偉業は成し遂げられた。

写真:インド男子、史上初のアジア大会メダル獲得の瞬間/提供:ittfworld

日本戦、首相に呼ばれる

このアジア競技大会で、インド代表は男子団体と混合ダブルス(アチャンタ/バトラ組)の2つの銅メダルを母国に持ち帰った。

帰国後にはナレンドラ・モディ首相もその功績を讃え、自身の公式SNSでもメダリストたちを「our talented Table Tennis players(我らの才能溢れる卓球選手たち)」と称した。

それまでクリケットやバドミントンなどの影に隠れていたインドの卓球ナショナルチームだったが、この日本戦への勝利でインド政府から認められる存在となった。その結果、インド政府は国家予算を使って卓球への投資を強めるようになった。

「誰もインドのメダル獲得は予想していなかったし、アジア大会でメダルを穫れるなら、オリンピックでも良いパフォーマンスを発揮できると思って貰えたはずだ。だからこのメダルでインド政府が卓球へのサポートに本気になってきたんだと思う」。

写真:サティヤン・グナナセカラン(岡山リベッツ)/撮影:伊藤圭

以前のような「勝った時だけ、一時的だった」支援が「継続的」なものとなった。

「トップ選手だけでなく12歳、15歳、それからトップアスリートと各カテゴリへの強化予算がつくようになった。これはインドの卓球にとって本当に大きいこと。そしてタイミングも良かった。インドは長く勉強がメインでスポーツはおまけという考えだった。でもようやくプロスポーツの価値を政府が認めて、投資しよう。プロフェッショナルを育てようというタイミングでもあった」。

そしてグナナセカランの活躍を認めたのは政府だけではない。企業からも沢山のオファーが舞い込んだ。

「スポンサーが沢山つくようになりました。サプリメントの会社や自社ブランドを持っている企業など。また日本の卓球メーカーのバタフライとの契約条件も良くなった。そして日本のTリーグからもオファーが来たしね(笑)。インド国内でも僕、サティアンを知っている人が増えたよね」。

写真:サティヤン・グナナセカラン(岡山リベッツ)/撮影:伊藤圭

まさにキャリアのターニングポイントだった。

張本を倒したら日本からオファーが来た

その約1年後となる2019年の暮れに、グナナセカランの元に岡山リベッツからスカウトが来る。

「恐らく、アジア選手権で張本を倒したからだと思う」。

グナナセカランはオファーの理由をそう自覚している。確かに直前の2019年9月、グナナセカランはアジア選手権(団体戦)の日本戦でエース起用の張本智和を3-0のストレートで下す金星を挙げている。

写真:サティヤン・グナナセカラン(岡山リベッツ)/撮影:伊藤圭

それでも本人はいたって謙虚だ。

「あの時は張本はまだ僕のことをマークしていなかっただけ。翌年のハンガリーオープンで対戦が決まった時には1日しっかり対策練習をされて、やられてしまった。今の張本に勝つのは簡単なことではない。それでも岡山リベッツのファンも球団もみんな僕に『張本を倒して欲しい』と思っているのは知っているから頑張らないと(笑)」。

ドイツから日本に移籍した理由

日本のTリーグは2018年に開幕した新興のリーグだ。伝統あるドイツのプロリーグ(ブンデスリーグ)からの移籍に迷いはなかったのだろうか。

「そこに迷いは無かった。自分自身も日本に来たいと思っていたんだ。日本は良く練習する文化で僕に合っている。そしてドイツに比べるとインドからも近い。なのでコロナパンデミックの前には契約を済ませ、ずっと日本でのプレーを楽しみにしていた」。

一方でドイツのクラブへの感謝も忘れない。

「僕がいたドイツのチームはとても悲しんでいたよ。グリューンヴェッターズバッハは本当にいいチームで僕もクラブが好きだった。キュウ・ダンもいるし、もともとマサ(森薗政崇)がいたクラブで雰囲気がいい。でも2つのリーグには所属できないし、やっぱりドイツはインドから遠いのと、毎週日曜しか試合が無いのがネックだった。ワールドツアーがあって出られない時も多いので、なかなか試合が多くできない。その点Tリーグは1週間に2〜3試合あるのが良いよね。そしてインドから近いのも良い。強化のためには長い時間インドにいてトレーニングすることも大事だから」。

写真:サティヤン・グナナセカラン(岡山リベッツ)/撮影:伊藤圭

また、Tリーグで好きな点がもうひとつあるという。

「Tリーグはビデオを見たけど、インドリーグ(Ultimate Table Tennis=UTT)とドイツ・ブンデスリーグをミックスしたようなリーグだよね。UTTはフェスティバルみたいなエンターテインメント要素が強いリーグで、2〜3週間の短期開催のとても小さいリーグ。ルールも新しいし、テレビも来て楽しい雰囲気。デリーのチームに入って一度優勝もしたけどとても盛り上がった。

逆にブンデスは大規模なプロフェッショナルなリーグ。チームも計画的に合宿や遠征もやるし、シーズンも長い。

Tリーグはシーズンの期間が長くてプロフェッショナルだけど、ファンやメディアが盛り上げていてフェスティバルの要素も多い。そして何よりもレベルが高くて良い選手が沢山参加している。世界最高峰のリーグの一つだと思う。ここで勝つのは簡単では無いけど、ベストを尽くして勝って岡山のファンを喜ばせたい」。

Tリーグでの対戦が楽しみな選手は

Tリーグで対戦を楽しみにしている選手について聞くと、真っ先に名前が挙がったのは水谷隼と岸川聖也だった。

写真:世界卓球パリ大会での水谷隼(写真左)・岸川聖也/提供:ロイター/アフロ

「子供の頃から水谷、岸川のプレーを見ていた。かなり長い間バタフライの水谷モデルのラケットも使っていたし、憧れの存在。水谷とは直接対戦できるかもしれないので僕のプレーがどこまで通用するか楽しみ。岸川はコーチになったから直接対戦できないけど相手のベンチにいる存在感は大きい」。

そして「(丹羽)孝希はチームメイトだから対戦はしないけど、(吉村)真晴、(松平)健太も、、、。やっぱり日本はいい選手が沢山いるね!(笑)」と続けた。

Tリーグデビューに向けた自身のテーマを聞くと「Make some upsets! Make Okayama Happy!(番狂わせを起こす、岡山をハッピーに)」と気合充分だ。

そんなグナナセカランは、Tリーグに向けて今年から新たにスタートしたルーティンがあるという。

写真:サティヤン・グナナセカラン(岡山リベッツ)/撮影:伊藤圭

【参考】インド卓球史を変えた日本戦のスコア

写真:サティヤン・グナナセカラン(岡山リベッツ)/提供:ittfworld

2018年 アジア競技大会(ジャカルタ)男子団体 準々決勝 日本 1-3 インド

上田仁 0-3 ○サティアン・グナナセカラン
9-11/9-11/7-11

松平健太 0-3 ○アチャンタ・シャラス・カマル
8-11/10-12/8-11

吉田雅己 3-2 ハーミート・デサイー
9-11/14-12/8-11/11-8/11-4

松平健太 1-3 ○サティアン・グナナセカラン
10-12/11-6/7-11/4-11

取材・文:川嶋弘文(ラリーズ編集部)

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