元巨人マシソン氏、今も変わらぬ日本愛 「戻れるなら戻りたい」場所とは?

オンライントークイベントに登場した元巨人のスコット・マシソン氏(画像はスクリーンショット)

10月に行ったFull-Countオンラインイベントに米国からファンのため“登場”

今年も残すところ、あと少しになった。新型コロナウイルス感染拡大の影響で野球を応援する形も、選手とファンの触れ合い方も、メディア側も情報の届け方などが大きく変わった一年だった。オンラインイベントも各所で多く見られたが、昨年まで巨人に在籍していたスコット・マシソン投手は“様式”が変わっても、変わらない古巣、ファンへの愛情を表現した。

Full-Countオンライントークイベントでマシソン氏がゲストで登場したのは今年の10月17日だった。イベントの打ち合わせもオンラインで行った。回線をつなぐ“会場”が米国・フロリダの自宅とあり、フィリーズ時代のサイン入りカードなど、色々な「お宝」を用意し、待っていてくれた。

中でもイベント当日、まず目を引いたのがマシソン氏が着ていたTシャツ。それは元同僚だった巨人・大竹寛投手の通算100勝記念Tシャツだった。ニコニコしながら説明した。

「大竹だけじゃないよ。阿部(慎之助)や山口(鉄也)のTシャツとか、たくさん持っている。ジムに着て行ったりすると、まわりから『それは何?』と、よく質問されるんだよ」

その顔は嬉しそうだった。

イベント内では日本にまつわる質問も多く、「日本に戻ってきて、一番食べたいもの」は都内の焼肉店の肉やキャンプ地・宮崎の炭火焼きの食事処の地鶏など一つに絞れない。来日したら行きたい飲食店がどんどん口から出てきた。

「焼鳥もラーメンも恋しい。家族と週に1、2回は寿司を食べていたから寿司も食べたいね。フロリダでは日本のような寿司は食べられない。日本での大きな思い出のひとつは食事。なんでも日本のほうがおいしい。日本のピザは最高。アメリカのピザが食べられなくなるくらいだよ」

想像するだけで幸せそうだった。今年は東京五輪やポストシーズンのタイミングで来日するプランを持っていたが、中止に。自宅でインターネットを通じて、巨人の応援をすることが楽しみだったという。結果のチェックは日課だった。

「あの緊張感が懐かしい…」巨人時代は不動のセットアッパーとして活躍

マシソンといえば、セットアッパー、時にはクローザーとして1年目の2012年から巨人のリーグ優勝、日本一に貢献。2013年には最優秀中継ぎのタイトルも獲得。巨人在籍8年でファンに愛されたリリーバーだった。

参加者からの「巨人時代、ブルペンではどんな話をしていたんですか?」という問いには「試合の進み方に一喜一憂していたね。他の投手たちとボールの握り方などを共有したりしていた。大勝しているときは雰囲気もいいが、接戦のときはシリアスな雰囲気になっていた」と回答。「ブルペンで過ごしていた時間が恋しい。あの緊張感が懐かしい。戻れるならそこに戻りたいよ」と切なそうに語る場面も。スマートフォンにはまだリリーフ陣でメンバー構成をされているグループLINEが残され、応援のメッセージを送っているという。

今年もすでに日本球界ではオフの移籍が進んでおり、来日してくる選手やメジャーに挑戦する選手もいる。

「僕は18年、プロでプレーしたけど、そのうち8年は日本。一番思い出に残る、楽しめた8年間だった。1年目からチームの一員、素晴らしいチームの一員になれたと感じられたことが、日本でのキャリアをスタートさせるにあたっていい経験になった。新しい食事、新しい環境にわくわくしながら過ごすことができたよ」

思い返すだけでたくさんの出来事が蘇ってくる。今後、巨人の一員として戻ってくる可能性はありますか? というファンからの質問には「引退したばかりで、まだ分からないよ」と前置きした上で、「巨人とのいい関係は続けていきたいと思っている。いつか巨人の一員として関われる機会があれば嬉しい。巨人が自分のことを助けてくれたと恩を感じているから、いつか恩返しがしたい。それに巨人に関わることができなかったとしても、新型コロナが終息したら年に1、2回は日本に帰ってみんなと交流したいと思っています」と話すと、ファンからは拍手が起きていた。

当時の応援ボードを掲げる子供にも一生懸命、手を振り「今でもこうやって応援してくれてとても嬉しい。本当にありがとう」と話す姿は印象的だった。

観戦や応援の様式は変わってしまったが、選手とファンの関係値は変わらない。特にファンを大事にしてきたマシソンだったからこそ作れた温かい時間だった。一緒に“時計の針”を戻すことを提供する機会をこれからも模索し、届けていきたい。(楢崎豊 / Yutaka Narasaki)

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