プロ野球解説者・山本昌「自分がもし大リーガーになっていたら」に答えて「歴史が変わっちゃっていただろう」

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東海ラジオ『ドラゴンズステーション』(月~金17:15~19:00)12月9日(水)の放送で、コメンテーターの山本昌氏が、アメリカ野球交換留学時代の話をした。山本氏の中日ドラゴンズ入団が1984年。しかし、満足のいく成績が挙げられず、入団5年目の88年に、ドジャース傘下の1Aリーグでマイナー生活送ることになった。

野球留学という立場上、ほかの選手たちとは条件が違う面はあったが、特別な待遇を受けたわけではない。その中で厳しいマイナー生活を送りながら実績を上げて、メジャーから声がかかるところにまでなった。メジャーの複数の球団からドラゴンズに打診があったとのこと。

山本氏のメジャー昇格の話を聞いて、当時の星野監督は「(山本をメジャーに)行かせろ!」と言ったそうだ。後にその理由が明らかになるのだが「(日本で実績を上げていない)山本が(アメリカに行って)半年で急に変わるわけがない。でも、注目されるじゃないか」ということだったらしい。しかし、球団としては、当時の主力左腕投手が故障したため、山本氏に帰ってきてほしいという事情があったようだ。

「もし、メジャーに行っていたら」この仮定の話に山本氏は「歴史が変わっちゃっているんで」と答え、その理由を話した。「今、日本人選手がたくさん大リーグに挑戦できる環境を作ったのは野茂(英雄)。野茂がパイオニアだったからこそ、日本選手がすぐれているということがわかった。僕だったら、全然、そうなってはいない」と、冗談交じりに話した。

「自分が大リーガーとなっていたら、野茂氏ほどの活躍はできず、後進に道を開くことができなかっただろう」と話した山本氏。続けて「イチローが日本で5000安打打っていたかも。ダルビッシュの200勝とか」と例を挙げ「歴史が変わっていたであろう」ことを強調した。しかし、改めて、大リーグ挑戦について聞かれると「プロ野球選手として、日本で活躍するのが夢だった。活躍した後だったらと言われたら、それでもちょっとねえ」と、やはりメジャーに行かなかったことは正解だったと再確認の言葉を口にしていた。

ドラゴンズステーション

放送局:東海ラジオ

放送日時:毎週月曜~金曜 17時15分~19時00分

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