お茶の間に悪魔降臨!聖飢魔ⅡはBABYMETAL以前に紅白出場を果たしたヘヴィメタル 1985年 9月21日 聖飢魔Ⅱの地球デビューアルバム「聖飢魔Ⅱ~悪魔が来たりてヘヴィメタる」がリリースされた日

BABYMETALよりも遥か昔、紅白歌合戦を征服!

コロナ禍の激動が続く中で幕を閉じつつある2020年。恒例のNHK紅白歌合戦への出場者に、BABYMETALの名前があることには、とても驚かされた。彼女達のライヴを僕が初めて観たのは2012年だったけど、その時点で将来、紅白に出場を果たすとは、正直想像すらできなかった。

華やかな紅白の舞台にもっとも似合わないヘヴィメタルバンドとして、初めて降臨したのが、X JAPANでも昨年のキッスでもなく、1989年の聖飢魔Ⅱだった。

聖飢魔Ⅱがデビューした当時のことを思い返すと、BABYMETAL以上に、まさか紅白の場に降臨するとは夢にも思わなかった。それは紅白での歌唱曲「白い奇蹟」ならぬ、 “悪魔の奇蹟” と言っていい出来事だった。

聖飢魔Ⅱはイロモノ? それとも本格派?

僕が聖飢魔Ⅱの存在を知ったのは、80年代当時、ジャパメタブームを牽引していた音楽雑誌だった。ニューカマーを探していたところ、聖飢魔Ⅱという奇妙なバンド名に目が止まった。早稲田大学の音楽サークルから生まれ、CBSソニーのオーディションを経てメジャーデビューを果たす、といった記事内容だった。

ライヴ写真では、キッスを明らかに意識した奇抜なメイク(のちにこちらが素顔だと判明)と風貌で、ヴォーカリストが逆立ちして歌っているではないか(のちに天地逆転唱法と呼ばれた)。それでいてサウンドは正統派のヘヴィメタルという彼らに、俄然興味が湧いていた。

当時のジャパメタ勢にも、サブラベルズやクロウリーのように、洋楽メタル由来の悪魔主義を標榜した、サタニックメタルと呼ばれる本格派のバンド達が登場し、おどろおどろしいライヴパフォーマンスと楽曲で、注目を集めていた。けれども、聖飢魔Ⅱの悪魔主義のコンセプトは(のちに悪魔教を布教するための手段であると判明)、ギャグなのかマジなのか、その真偽はミステリアスに包まれたままだった。

地球デビューとなる大教典「悪魔が来たりてヘヴィメタる」

聖飢魔Ⅱの地球デビューの大経典(デビューアルバム)『聖飢魔Ⅱ~悪魔が来たりてヘヴィメタる』を僕が買ったのは、確か発売日で、一体どんなサウンドなのか、よほど楽しみだったのだろう。手にしたジャケットの表面やインナースリーブには、レザー&スタッズの衣装を身にまとい、邪悪な表情を浮かべた5人の悪魔達が写っている。

LPのA面に針を落とすと、おどろおどろしくも、ツインリードが劇的なイントロダクション「魔王凱旋」が流れた。そこから、デーモン小暮(現デーモン閣下)の不気味な笑いと曲タイトルの叫びで始まる「地獄の皇太子」で、僕は聖飢魔Ⅱの世界に引き込まれていった。

僕のフェイバリットチューン「ROCK IN THE KINGDOM」は、シャッフルの3連符による、典型的なジャパメタテイストに溢れた、正統派のメタル。何よりロブ・ハルフォードばりのハイトーンをぶちかます、デーモン小暮のヴォーカルが凄まじい。「X・Q JONAH」は、アース・シェイカーに悪魔が迷い込んだような曲調だ。

B面は全てを「悪魔組曲作品666番ニ短調」が占めており、ドラマティックな展開で13分以上の長尺も飽きない。。エンディングには、デーモン小暮の邪悪な笑いと語りが収められており、最後のセリフ「著作者に無断でテープ等に録音することは、悪魔が許さない」には、大笑いさせられた。

色物感以上に、将来有望なジャパメタバンドとして、充分な魅力を備えた作品に、その直後に起こる騒動など予期することもなく、僕は満足していた。

なんと、メタル専門誌のアルバムレビューで前代未聞の0点!

それから程なくして、メタル専門誌のアルバムレビュー欄に、すでに発売後の本作が掲載された。編集長自らが与えた点数は、なんと誌上初の “0点” だった。

ネット上から幾らでも新作の情報を得られる今の時代では考えられないが、80年代当時、全国のメタルファンが毎月買う作品選びに、大きな役割を果たしていたのが、専門誌のレビューだった。当時のHM/HRシーンは、より洋楽至上主義的な側面があり、メタル専門誌はそれを先導していた。ジャパメタ関連は、レビューでも辛い点数をつけられることも少なくなかったが、今回は少々事情が違うようだった。

そこには、聖飢魔Ⅱを色物と断定した上で、彼らに関わる業界関係者も含め、ヘヴィメタルを商売や金目的に使い侮辱し、笑い者にしている旨の、辛辣な批判が書かれていた。さらに誌上のコラムで、アルバムでの演奏が、本人達のものではない疑惑にまで言及がなされた。作品のプロデュースをフュージョンバンド、プリズムの渡辺健が担当しており、彼らが演奏したことが噂されることになる。

ジャパメタ関連や日本のバンドの芸能界的な風習に、一定の距離を置いていた編集長のスタンスを考えれば、創刊から誌面を読んでいた僕のようなメタルファンにとっては、ある意味理解できるレビューでもあった。

今でいう炎上騒ぎ、逆に0点のアルバムってどんなの?

けれども僕自身は、すでにレビュー前に作品を購入し、自分なりの評価を持っていたので、たった一人のレビュワーが付けた評価によって、聖飢魔Ⅱの作品を、聴かず嫌いで終わってしまう人が増えることは、率直にもったいないとも思った。

“ヘヴィメタルを侮辱されたくない” という気持ちは全く同感だったけど、少なくとも作品を聴いた限りでは、バンド自身からは(関係者の思惑はともかく)、彼らなりの方法論でメタルを世に広めようとしているのが理解できたし、僕が日本のメタルバンドを、洋楽と分け隔てなく愛聴していたのも大きかったと思う。

また、本人達が演奏していないとすれば、決して喜ばしくはないのは当然だ。ただそれ以上に、バンドの創始者であるダミアン浜田を中心に創られた楽曲の素晴らしさや、ジャパメタ屈指のヴォーカリストへの成長を予感をさせたデーモン小暮のポテンシャルに、僕は確かな手応えを感じていた。

結果的にレビューの0点は、メタルファンの界隈で、今でいう炎上騒ぎとなり、逆に0点のアルバムってどんなの? とむしろ聴きたい人が多く現れる始末だった。振り返ると、80sのメタルブームの中でメタル専門誌が、今と違い貴重な情報源として大きな影響力を持っていたからこそ、巻き起こった騒動だったといえるだろう。

ついに「蝋人形の館」で大ブレイク、悪魔のミッションはお茶の間に進出!

メタル界隈の本丸で色物の烙印を押され、聖飢魔Ⅱの行く末に暗雲が立ち込めたと思われたが、それは全くの杞憂に終わる。1986年(魔暦紀元前13年)4月発布(発売)の小経典「蝋人形の館」で本格ブレイクしたのだ。

そのきっかけのひとつが、テレビの歌番組での露出だった。僕は「夜のヒットスタジオ」を生放送で観たのを覚えているが、年齢「10万23歳」といったお馴染みの悪魔ワードが飛び交う、デーモン小暮の面白すぎる天性のトーク力と、エンタテインメント性に溢れたバンドキャラの魅力を感じ、大いに楽しめた。本田美奈子がデーモン小暮に襲われる、今となってはレアな場面もあった。映像を通じて、聖飢魔IIの存在を全国のお茶の間に知らしめたのは、大きなアピールとなっただろう。

余談だが、その時「蝋人形の館」が生演奏したものの、歌以外はお世辞にも上手とは言えず、図らずもメタル専門誌の指摘を裏付けたように聴こえたのはご愛嬌だった。

同時期に、第2大経典(セカンドアルバム)『THE END OF CENTURY』をリリース。のちに彼らミサ(ライヴ)での定番曲を多く収めた内容は、あらゆる面でレベルアップしており、まさにジャパメタ史上に残る名作に仕上がった。この作品から聖飢魔Ⅱを聴き始めたファンも多いかと思う。

結果として、ヘヴィメタルでありながらも、万人の心を掴むキャッチーな魅力に溢れた「蝋人形の館」は、彼らの代表曲として30万枚を超える大ヒットとなり、もはやメタルジャンルの壁を遥かに超えて、注目される存在になっていった。

ちなみに、0点レビューの『悪魔が来たりてヘヴィメタる』も、結果的に日本のヘヴィメタルバンドのアルバムで、初の10万枚を超えるヒットを記録している。

日本のヘヴィメタル史上初、輝くオリコンチャート第1位!

聖飢魔Ⅱの勢いはとどまることを知らず、あくまでもヘヴィメタルを軸に、80年代後半から末期にかけて、優れた小教典や大教典のリリースを重ねた。

その中でジェイル大橋の脱退等、構成員の異動(メンバーチェンジ)も行い、初期の作風から次第に幅広い音楽性へと変化を遂げていく。それでも、デビュー時にすでに完成されていたバンドコンセプトは何ら変化することなく、むしろより強固で質の高いものに構築していった。

1989年にはエース清水が作曲した第8小教典、「白い奇蹟」がヒット。さらに極悪集大成盤(ベスト盤)『WORST』は、日本人のヘヴィメタル史上初となる、オリコンチャート1位に輝く。そして、地球征服を着実に進めた80年代を締めくくる、紅白歌合戦出場へと繋がっていった。

紅白で披露された「白い奇蹟」は、激しいメタルではなく初のバラードで、J-POPやシティポップ風の洗練されたアレンジと、美しい旋律が印象的な楽曲だった。けれども、一般層へアピールするという意味では、最良の選択だっただろう。

聖飢魔Ⅱとメタル専門誌、最後に笑ったのはどっち?

1999年末に予定通り地球征服のミッションを完了した聖飢魔Ⅱは、その活動を一旦終えた。2000年以降は、散発的にミサや教典の発布を行い、悪魔教の信者を狂喜乱舞させている。

圧倒的な歌唱力と、エンターテイナーとしての高い資質を備えたデーモン小暮は、途中、デーモン閣下と改名し、音楽シーンのみならず、あのキャラクターのままで多数のメディアへの露出を果たしたのは周知の通りだ。今に至るまでその八面六臂の活躍ぶりが続いていることは、その成り立ちを振り返ると凄いことだと、つくづく思う。

そして、聖飢魔Ⅱがどんなメタルバンドよりも、ヘヴィメタルを日本中のお茶の間の隅々まで、好奇心を与えて届けることに成功した功績は、評価されるべきだろう。

一方、聖飢魔Ⅱに辛辣な評価を下したメタル専門誌は、ヘヴィメタルや音楽メディアを取り巻く環境が80年代とは一変した中で、昨今では日本人や女性アーティスト等が、誌面を多く飾っている。近年、突然B'zを表紙にして物議を醸していたが、今こそ聖飢魔Ⅱを本誌の表紙にするくらいの度量があると、実に面白いのだが、どうだろうか。

BABYMETALのように、メタルにプラスアルファの要素を兼ね備えたアーティストの躍進が、現代のHM/HRシーンを支え、裾野を広げる原動力となっている。それは、35年前、ヘヴィメタルに悪魔教を掛け合わせた、まさに聖飢魔Ⅱによって実践された方法論と重なる。時代の先の先まで予言していたのは、図らずも悪魔のほうだったのが、証明されたのかもしれない。

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カタリベ: 中塚一晶

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