初代エース岩隈の決断、歴史的大敗、野村克也氏… 楽天が歩んだ歴史を振り返る

楽天が歩んだ歴史を振り返る【写真提供:PLM】

初代監督は田尾安志氏、オリックスにプロテクトされていた岩隈だったが

2019年に球団創設15周年を経た楽天。スタートの分配ドラフト、東日本大震災などさまざまな苦難を乗り越え、2013年には日本一を成し遂げるなど、ファンに愛される球団へと着実に成長を続けている。

そこで、その苦楽を振り返りつつ、15年の歩みをたどっていく。第1回は「東北にプロ野球がやってきた」。決して容易ではなかった球団創設から、2010年までを振り返る。

2004年9月、楽天株式会社の社長・三木谷浩史氏がコミッショナー事務所を訪問し、球団の新規参入に向けて加盟申請書を提出。翌月に田尾安志氏の監督就任が発表され、10月22日に「東北楽天ゴールデンイーグルス」という名が公表された。

そして11月2日に行われたプロ野球オーナー会議にて、宮城県仙台市「フルキャストスタジアム宮城」を本拠地に東北楽天ゴールデンイーグルスのパ・リーグ新規参入が認められた。また、同年には大阪近鉄バファローズとオリックス・ブルーウェーブが合併し「オリックス・バファローズ」が誕生している。

まずは選手を獲得するために、オリックスとの分配ドラフトが行われた。分配ドラフトとは、近鉄バファローズとオリックス・ブルーウェーブに所属していた選手を、楽天とオリックスに振り分けていくドラフトを指す。

当時、岩隈久志投手はプロテクトされていたが、後に自ら志願して楽天にトレード移籍。交互に選手を指名していく形は取られていたものの、オリックスには25人を先にプロテクトする権利が与えられていたため、やはり他球団と戦力を比較すると楽天の戦力は劣っていると言っても過言ではなく、こうして結成された楽天を「寄せ集め球団」と揶揄する声も当時は多かった。

歴史的大敗も、波乱に満ちた船出

そして迎えたファーストシーズン。記念すべき初陣となった2005年3月26日のロッテ戦は、岩隈の好投などもあり3-1で見事に勝利。しかし、翌日の同カードでは0-26で歴史的大敗を喫し、完封試合での最多得点差タイ記録に並んだ。本拠地開幕戦では、磯部公一選手の球団初本塁打もあって1万7236人の観客の前で勝利を収めるなど、奮闘を見せるも報われず。終わってみれば38勝97敗1分、勝率はわずか.281。レギュラーシーズン1位のソフトバンクに51.5ゲーム差の最下位に終わり、田尾監督が1年で解任する波乱の1年目となった。

翌2006年からは名将・野村克也氏が監督に就任。そしてこの年入団した青山浩二投手や銀次内野手は、チームをけん引する中心選手へと成長していく。また、2020年から1軍打撃コーチに就任した鉄平外野手が中日から移籍加入するなど、少しずつではあるが選手層に厚みが出始めた。

2年目も最下位に終わったが、4人の3割打者が誕生するなど(リック、フェルナンデス、鉄平、高須洋介)、明るい材料も多かった。さらにこの年のドラフトでは田中将大投手をはじめとして、嶋基宏捕手や渡辺直人内野手など、現在のチームに大きな影響を与える選手を獲得している。

そして野村監督の熱血指導が結果に現れ始める。2007年、ルーキー・田中が高卒ながら先発ローテーションの一角を担うと、11勝を挙げる活躍で新人王を獲得。さらに主砲・山崎武司内野手が最多本塁打と最多打点の2冠に輝き、勝ち頭・岩隈の不調もチーム全体でカバー。2年連続で最下位だったチームが4位に浮上した。

2008年は岩隈が21勝4敗、防御率1.87の好成績を残して最優秀防御率、最多勝、最高勝率の3冠に加え、最優秀選手、沢村賞に輝き、リックは打率.332で球団初の首位打者を獲得。打線は主にリック、フェルナンデスそして山崎が中軸として機能し、リーグトップのチーム打率.272をマークした。しかし、創設以来守護神を務めていた福盛和男投手のメジャー移籍もあってか、救援陣が不安定となり、5位でシーズンを終えた。

創設史上最高順位でCS初進出、個人タイトルも続々と

創設5周年を迎えた2009年は、球団史に刻まれる1年となった。開幕4連勝を飾りスタートダッシュに成功すると、4月は一時首位に立つ。交流戦で勢いを落とし、借金6で前半戦を折り返しながらも、3番・鉄平と4番・山崎の活躍などで8月、9月に連勝を重ね、ついにクライマックスシリーズ圏内に。そして10月3日、14-5で西武に快勝して球団初のCS進出を決めた。レギュラーシーズンは77勝66敗1分の2位で終え、鉄平は打率.327で見事、首位打者に輝いた。

そして迎えたCSファーストステージは無敗で勝ち上がるも、ファイナルステージで惜しくも日本ハムに敗れ、2009シーズンを終えた。野村監督の今季限りでの退任がCS開催前に発表されていたため、敗退が決まった試合後には日本ハムの選手も含めて野村監督の胴上げが行われた。

野村監督は試合後、勝敗に関わらず記者の前に姿を現し「ぼやき」を披露するなど皆に親しまれ、楽天の礎を築き上げた。楽天の歴史、そして成長は野村克也氏なしには語ることができないだろう。

創設史上最高順位を収めた勢いに乗っていきたいところだったが、新たにブラウン氏を指揮官に据えて戦った2010年は、シーズンを通して黒星が先行し、再び最下位に沈む。しかし、田中、岩隈、永井の先発3本柱がそろって2桁勝利をマーク。さらに正捕手の座をつかんだ嶋は初の打率3割をマークしゴールデングラブ賞とベストナインを受賞するなど収穫も多いシーズンとなった。

こうして個々の活躍も目立つようになり、このまま順調に成長していくかと思われたが、2011年は予想だにしていなかった苦難が待ち受けていた。(「パ・リーグ インサイト」後藤万結子)

(記事提供:パ・リーグ インサイト)

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