「ロックダウン」の言葉懸念 西村経済再生相インタビュー

 政府が新型コロナウイルスの感染拡大を受けて4月に発令した緊急事態宣言は、国民生活に大きな制約をもたらした。発令の経緯について、12月8日に西村康稔経済再生担当相にインタビューした。東京都の小池百合子知事が既に「ロックダウン(都市封鎖)」という言葉を口にしており、宣言に対する誤解が広がることを懸念していたという。(2回続き、共同通信=蒔田浩平、中尾聡一郎)

インタビューに答える西村経済再生相=12月8日、中央合同庁舎8号館

 ▽オーバーシュート

 ―緊急事態宣言はいつ何をきっかけに出そうということになりましたか。

 3月26日に新型コロナ特措法に基づく対策本部を立ち上げた。厚生労働相から「まん延の恐れが高い」と報告があった。次に「緊急事態宣言」となるのは「全国的かつ急速なまん延」という状況だ。全国の感染者数は26日時点で96人、27日に初めて100人を超え104人となり、28日は194人。いわゆる「オーバーシュート(爆発的患者急増)」は2~3日で倍増し、40が80、160となる状況だが、まだそこまではいっていなかった。政府の専門家会議でも示され、私も連日、専門家の皆さんと意見を交換しており、このころ安倍晋三前首相とも電話で話して、28日朝ではないかと思うが「かなり人数が増えてきた」と強い危機感を共有し、どこかのタイミングで宣言を出さないといけないかもしれない、となった。

 ―結果論だが、5月29日の専門家会議の提言では、推定感染日のピークは4月1日ごろでした。宣言発令はその後で、もう少し早く発令したほうが効果的だったのではないでしょうか。

 これは後からいつピークだったかが分かるので、専門家会議も、4月1日の段階では今のところ諸外国のようなオーバーシュートは見られないが、医療が逼迫(ひっぱく)してきている地域があり、医療体制の確保が喫緊の課題になっているとの評価だった。オーバーシュートの兆しがあったら緊急事態宣言をただちにやろうと専門家の皆さんが言っていたが、まだそこまでいっていなかった。緊急事態宣言について5月29日の提言では、やはり接触を控えると新規感染が抑制され効果はあったと評価されているので、歴史の評価を待たなければいけないが、あの時点では専門家の皆さんも含め、まだオーバーシュートの兆しはないということだったと思う。

 ―それから感染が拡大しました。

 4月6日は270人であり、1週間でおよそ倍増した。この間は毎日、政府の専門家会議副座長の尾身茂先生やメンバーの押谷仁先生、クラスター対策班の西浦博先生と意見交換を重ねていて、このままいくとオーバーシュートする状況になってきた。首相に状況を報告し、尾身さんも「これはもうギリギリのタイミングだ」と言うので、準備に入ることになった。当時、ニューヨークにいる日本人が「もう東京はニューヨークのようになる」と言っていた。私のところにもいろんな批判のメールも来たが、しかし、緊急事態宣言を出し、オーバーシュートはせず、国民の皆さんの協力で減少傾向になった。まさに多くの皆さんにステイホームしていただいて、接触機会がぐっと減った。今では本当に遠い昔のようだが、5月20日ごろは東京の感染者数は3人とか4人になった。改めて国民の皆さんのご協力に感謝したいと思う。

 ▽誤解

 ―3月23日に小池百合子東京都知事の「ロックダウン」発言がありました。どう振り返りますか。

東京都の小池百合子知事=3月23日、東京都庁

 専門家の皆さんもそうだが、ロックダウンという言葉が一人歩きすることはある意味、懸念を持った。要は外出もできなくなるとか、強制力を持ち罰則がかかるのではないか、という誤解が広がった。特に春休みだったので、若い人たちが「東京で生活できないから、地方に戻ろう」ということで、人が地方に拡散することを、専門家の皆さんはものすごく恐れていた。とにかく、そういう強制力を持つものではなく、日常生活はできて、スーパーなどが閉まるわけではないことをよく理解してもらおう、と専門家の皆さんは強く言われていた。安倍前首相の国会答弁も、私の記憶では「日本ではロックダウンできない」としていた。2人でいる時にも「戒厳令みたいなことはできないんだよね」と言っていた。

 ―誤解を解く意味でも緊急事態宣言を早く出す可能性はなかったでしょうか。

 誤解の解消に一定の時間が要る。一方で小池さんの発言も含め、危機感はすごく広がった。強い措置を取らないといけない状況だった。東京の陽性者が100人を超え、全国は200人、300人となってきた時期だった。3月23日時点で数十人、24日65人、25日93人という時期だったので、危機感を共有できたというプラス面もあったが、警戒しすぎると地方に行こうということになるので、理解してもらうのに一定の時間がかかったということだ。

緊急事態宣言後に記者会見する安倍前首相=4月7日、首相官邸

 ▽水際強化は検証

 ―3月中旬ごろは特に武漢発のウイルスをクラスター対策で抑え込めていた一方で、欧州発のウイルスが入り込んでいたようです。緩みがあったという認識はありますか。

 危機感はあった。3月は陽性者が減った時期もあり、感染経路の第1波を武漢からとすると、これは封じ込めができた。二つ目の大きな流行は武漢から欧州へ行ったウイルスが変異して日本に来たということで、3月17日に専門家から緊急提言を受けた。18日に欧州からの人に対して2週間の待機を求めることを決めたわけですね。米国からは26日から帰ってきた人に求めた。周知期間も必要だった。その上でPCR検査をやるようになったのが27日で、実際に検疫の検査件数は毎週100件くらいだったのが、4月に入ると二千数百件と20倍ぐらいになって、水際を強化した。ギリギリのタイミングには来ていたのかなと思う。今後詳しく検証をしないといけない。

(続く)

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