日本海で揚がった魚を9時間後に都内で売る!新潟発の大人気魚屋・角上魚類の秘密

東京、埼玉、千葉、神奈川、新潟に22店舗を展開する巨大魚屋、角上魚類。連日多くの人が大挙として同店を訪れ、スーパーよりも鮮度が良く価格も安い魚を買って帰ります。

鮮度や種類、価格の面からほかに例を見ない魚屋チェーンです。角上魚類の本拠地・新潟県長岡市の寺泊港で、創業者であり現会長の栁下浩三氏にインタビューをしました。「時は金なり」そのままの、鮮度が命で日持ちしない「魚類」を扱いながら、年間売り上げ350億円を実現した角上魚類の秘密を探ります。


地元・長岡で魚屋を始めたのが始まり

――角上魚類に実際に行くとハマる人が多く、私も角上魚類を知ってからスーパーでは魚を買うことができなくなってしまいました。まず創業からお聞かせください。

栁下: 今から46年前、1974年にここ寺泊に魚屋を出しました。当時はスーパーが勃興していて、地元の魚屋が商売をやめていった時期です。

私の生家は、魚屋に対し魚を卸す商売をしていましたが、魚屋という小売店がなくなれば卸業も不振になります。「このままではダメだ」と思い、新潟県内でも台頭し始めていたスーパーの魚売り場を偵察しました。

そこで驚いたことは、魚が原価の2~3倍で売られていることです。「これなら俺が直接仕入れをして売れば、半値以下で魚を売れる。お客さんも鮮度が良くて安い魚であれば、買いに来てくれるのではないか」と思いつきました。

その後、寺泊の浜辺の中に一本だけ通る公道沿いに角上魚類の本店を出しました。当初のターゲットは寺泊周辺で、車で10~20分ほどで来ていただけるお客さんで、「地域の人たちに慕われる魚屋にしたいな」という理由からでした。

地元以外の人も車でやってくる

私は地元や新潟市内の市場で、鮮度の良さを優先させて仕入れた魚を売っていたのですが、やがて車で10~20分の方々だけでなく、遠くの地域の方まで来ていただけるようになりました。大半のお客さんが「活きも良いし安い」と言って皆さん喜んでくださるのです。寺泊という過疎地に、ガソリン代を使って来てくださり、嬉しそうな顔をして魚を買ってくださる。これは私にとって無性に嬉しいことでした。

同時にさらに喜んでいただくために、「私は次に何をしなければならないのか」と考えました。遠方のお客さんはわざわざ寺泊まで車で来てくださる。こういったお客さんにさらに満足していただくためには、魚の種類も多く揃えなければいけない。価格もさらに安くしなければいけない。寺泊まで多くの人が来てくださるのが本当にありがたかったですからね。

しかし、お客さんが増え、売り上げが伸びていくにつて心配ごともありました。「商売には必ずピークがある」ということです。去年よりも今年は売り上げが上がったけれど、「今年がピークかな」と常に不安を抱くようにもなりました。

創業10年で群馬・高崎に進出

前後しますが、1971年頃から新潟に関東の人が遊びに来られることが多くなっていました。「最近やけに関東の人を見かけるな」と思っていたところ、関越自動車道が開通した影響で、新潟と関東圏が近くなったということでした。

寺泊でお客さんを待つだけなく、逆に「関越自動車道があるのだから、魚を関東に持っていけば良い」と考えました。それで創業から10年後の1986年にまず群馬県・高崎に県外で最初の店を出しました。海のない県ですので、鮮度の良い魚を持ち込めば必ずヒットすると考えてのことでした。

――すぐに受け入れられたのでしょうか。

栁下:** いいえ、最初の半年は、生魚が全然売れませんでした。干物や冷凍の魚は売れるんです。私は干物や冷凍を売りに来たわけではないので、とても残念でした。

新鮮で美味しい魚を店頭に並べても、お客さんの大半の方が「生の魚なんか見たことも食べたこともない」「味も知らないし、食べ方も知らない」とおっしゃる。そこで「この魚は刺身にすると美味しいです」「この魚は焼くと美味しいです」などと説明しながら売り続けました、半年過ぎたあたりから生魚が売れるようになり、やがて高崎でも多くのお客さんが来てくださるようになりました。

新潟県・寺泊にある角上魚類の1号店。周辺は「寺泊魚の市場通り」となり複数の鮮魚店が軒を連ね、今では新潟の観光スポットに

直営店のみにこだわる角上式経営方針

――急激にお店が売れると、社外からのビジネスの話もたくさん来そうに思います。

栁下: 「うちの地域にも出してほしい」といった声は多くいただきましたが、「いや、うちは会社も小さいし、お金もないし、とてもじゃないけど無理です」って断り続けていました。

そんな中で「いやお金も自分たちで準備するし、人間も用意する。角上の看板を貸してもらい、魚の供給と扱い方の指導をしてくれ」といった話をいただきました。フランチャイズということですね。「それならばできます」とお返事し、一時は3~4店舗のフランチャイズの店も始めました。

どの店も当初は私が指導し、よく聞いて営業してくれて売り上げは伸びていきました。でも、店が流行ってくると、店頭の作り方を勝手に変えたり、魚の値段も高くなったりする。「こんな鮮度が落ちたものを売ったらダメだ」「こんな高い値段をつけてはダメだ」と私が言っても、一部のフランチャイズの人は聞いてくれないわけです。

私の魚屋としての気持ちは、「鮮度の良い魚を売る」「できるだけ安い価格で売る」というものです。しかし、フランチャイズのお店は私の考えと違う形で売り始めたんですね。毎月うちにはフランチャイズ料として幾ばくかのお金が入ってきていましたが、「これは私のやり方ではない」と思い、フランチャイズの店に「角上の看板をおろしてくれないか」と言いました。

すると、フランチャイズのオーナーも「いいですよ」と喜んでくれました。なぜなら、角上と契約を切れば、フランチャイズ費が節約できるわけで、向こうにとっても悪くない話だったと思います。

しかし、別の名前をつけて始めた元角上のフランチャイズの店はそれから5~6年で全部潰れました。ですので、以降は、本当に私の目が届く「直営店」だけでの営業を続けるようにしました。

――現在の直営店22店舗を、さらに増やす計画はないのでしょうか?

栁下: 今もあちこちの地域から「うちの辺りにも出してほしい」という要請をいただくことがあります。しかし、新店を1店舗出す際は、既存店から最低でも2~3名の主要従業員を抜き出し、新店の営業にあたらせないといけません。そうなると、業績が安定している既存店のほうがおざなりになりかねず、質が落ちてしまう可能性があります。

各店には地域ごとのお客さんがついてくださっていますので、もしそうなってしまったら結果的に地域の方々の期待を裏切ってしまうことにも繋がりかねません。

私の目が行き届くという意味でも22店舗くらいが限界ですし、新店よりも既存店を育てて、質を維持しながら、売り上げを伸ばしていくほうを大切にしています。

2000年、都内で初出店となった角上魚類小平店

今も会長自ら競りに出向く

――堅実な経営方針と合わせて、今でも栁下会長自ら市場に仕入れに行かれるそうですね。

栁下: 現在、木・金・土で私を含める7名の専業バイヤーと一緒に新潟の競り場に行っています。同時に東京・豊洲に6名の専業バイヤーが行っています。新潟と豊洲のその日の朝一番の競り場の魚がどんなもので、どれくらいの価格で売られているかを、双方で連絡を取り知らせ合い、「どのタイミングで仕入れるか」を決めています。

各店は信用のおける社員に任せていますが、競り場や市場で仕入れを行い続けているので、店頭でも「その魚が高いか、安いか」「的確な販売方法であるか」がすぐにわかるわけです。なので、仕入れの現場には創業以来ずっと回り続けています。

――一般にスーパーなどで販売されている魚は、このような仕入れ方ではなく、他商品とのバランスで利幅も多く取らないといけないようです。競りはどのような仕組みで行われるのですか?

栁下: 新潟の場合は、例えばある魚が1箱3000円でスタートしたとします。買い手がつかなければ、2900円、2800円と値が下がっていきます。「そこで買います!」と手を挙げると落とせるわけですが、他の地域の競りはだいたい値が上がっていく仕組みですから、新潟は真逆なんです。

私が競りに行く際はあらかじめ、「良い魚を見つけたら、どれくらいの量を、どれくらいの金額以下なら買う」と決めて参加します。どうしても仕入れなければいけない魚が高かった場合、仕入れる量を抑えるなどして調整しています。新潟と豊洲とで連絡を取り合い、「こっちはイワシを150箱買った」「こっちは50箱買った」とやり取りし、各店への供給を振り分ける仕組みです。

新潟市内にある新潟漁協の競り場。週末は御年80歳の栁下会長自ら競りに参加します

日本海で揚がって9時間で店頭へ

――例えば新潟で仕入れた魚が、関東圏の角上魚類に納入され、食卓に並ぶまでの「時間」はどれくらいなのでしょうか?

栁下: 日本海で水揚げされてから、最短で9時間ほどで店頭に並ぶことになります。競りをやり、数多くの種類の魚を仕入れ、関東圏まで持っていくということをやっている魚屋は角上だけだと思います。

――東京の魚屋さんや魚を扱う寿司店などは、敷居が高いような、客が店主の顔色を伺いながら買う・注文するような風潮があります。角上魚類は良い意味で敷居が低く、手に取りやすい安い魚も数多く陳列されています。違いはどこに?

栁下: 開業当初に私が掲げた指針に「4つの良いか」「社心」というものがあります。「4つの良いか」とは「鮮度は良いか」「値段は良いか」「配列(品揃え)は良いか」「態度は良いか」といったもの。

「社心」とは社訓のようなものですが、「心」という言葉を使ったものなので、「社心」と呼んでいます。「買う心 同じ心で 売る心」というものなのですが、お客さんと同じ気持ちを持ち、その上で魚を買っていただこうという行動指針です。

この「4つの良いか」「社心」は45年前から角上ではずっと続けている指針であり、今でも22店舗全ての店に貼っています。なので、これから先も我々のやり方でお客さんに喜んでいただくことを最優先に営業していきたいと思っています。

日本海で上がった魚が数時間で関東圏の食卓へ。ちなみに魚の鮮度を保つために発泡スチロールを初めて採用したのも実は栁下会長だそうです

栁下会長が考える「日本一の魚屋」とは?

――角上魚類の今後の目標をお聞かせください。

栁下: 当初は今のような規模の魚屋になるとは夢にも思っていませんでした。前述の通りあくまでも「地域の人たちに慕われる魚屋にしたいな」という理由だけでしたので。しかし、それがやがて関東圏のお客さんにも信頼していただくようになり、売り上げを落とすことなく伸ばし続けています。

これはつまり、最初の「地域の人たちに慕われる魚屋」として、地元・寺泊以外の関東圏の各地域のお客さんにも認めていただいたからだと思っています。それだけの期待を、これからも裏切ることがあってはなりませんし、これからも「4つの良いか」に従って続けていきたいと思っています。

今から20年前、私は「日本一の魚屋になる」と掲げました。しかし、それは「売り上げが日本一」「店舗数が日本一」ということではないんです。

現在展開している22店舗の各地域で暮らす皆さんが、「魚を買うなら断然角上だ」と言っていただけることを指しています。各店舗が地域で一番評価される店になったら、それこそが私が考える「日本一の魚屋」です。これからも「日本一の魚屋」を目指して続けていきたいと考えています。

日本海を見渡すことができる角上魚類本社の社長室での栁下会長

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