空港や航空機内で「レディース&ジェントルメン」というアナウンスを聞いても、ありふれた表現のために気にとめる人は少ないかもしれない。だが、日本航空は2020年10月、この呼び掛けをやめ、「エブリワン(everyone)」や「オールパッセンジャース(all passengers)」に変えた。突然の変更に、世界の旅行関係者からも驚きの声が上がっているという。なぜ表現が変わったのか。
きっかけは、1人の社員の「気づき」だった。
(共同通信=返田雅之、三浦ともみ)
▽当事者の疑問に
2018年5月、東京・代々木公園。LGBTなど性的少数者の権利を啓発するイベント「東京レインボープライド」に、協賛企業として初出展した日航の人財戦略部 所属の東原祥匡さん(37)は、当事者の数人と話して驚いた。
「レディース&ジェントルメンは、性別を男女に分けている。性の多様さを想定していないのではないか」。
国際線のアナウンスに違和感を抱いているというのだ。
日航は、性の多様性を尊重する取り組みに会社を挙げて力を入れているところだった。16年には性的指向(恋愛感情や性的な関心が向く性別)や性自認(自分の認識する性別)による差別を禁止するメッセージを打ち出した。東原さんは17年に人財戦略部に着任し、性の多様性を学ぶ社員研修の開催などに携わってきた。
「着任後、一から勉強しました。ダイバーシティに関する講演会に行きましたが、暗号のようで最初は何も理解できなかった」と苦笑する。それでも、東京レインボープライドへの日航の初出展へと漕ぎ着けた。その場所で聞いた彼らの違和感は「これまで考えたことのない新たな視点。気付かされました」。どうすべきかを早速、考え始めた。
▽社内の空気に変化
東原さんはまず、世界各国の航空会社のアナウンス事情を調べた。だが「レディース~」を使用していないとはっきり確認できたのは、カナダのエア・カナダ社のみ。ただ、ロンドンやニューヨークの地下鉄では、ジェンダーの観点から「レディース~」を既に廃止していることも分かった。
日航が国際線定期輸送を始めたのは1950年代。広報部によると、「レディース~」がいつから使われているのかは定かではない。
一方で、誰にとってもおなじみのアナウンスでもある。東原さんが当初、アナウンスの見直しを提案すると「そこまでする必要があるの」という意見が社内から出され、頓挫した。
東原さんは「このときはまだ、性の多様性について、社内の理解が浸透していなかったのかもしれない」と振り返る。
その間も日航の改革は着実に進んだ。19年夏には性的少数者への理解を促すことを目的とした「JAL LGBT ALLYチャーター便」を企画した。同性同士のカップルから「堂々と手をつないで過ごすことができ、うれしかった」と言われるなど、好評だった。
社内の空気も次第に変わり始め、「顧客サービスを担当する部署から『アナウンスの表現は今のままで良いの?』と逆に意見をもらうようになりました」と東原さん。
16年から取り組みを初めて、性的少数者を尊重するサービスやフライトについて自主的に考える風土が社内に生まれたという。東原さんは「コロナ禍だからこそ『できることをしよう』という機運も高まった」と手応えも感じた。
東京レインボープライドで違和感をぶつけられてから約2年後の2020年夏、グループ会社も含め定番アナウンスからの変更が正式に決まった。
▽実は珍しい?
「Amazing!(驚いた!)」
性的少数者に快適な旅行をサポートすることを目的とした国際的な旅行業団体「IGLTA(国際LGBTQ+旅行協会)」の会長が、IGLTAアジアアンバサダーの小泉伸太郎さん(52)に送ったメールだ。
日航の国際線アナウンスが変更されたニュースは翻訳され、世界中に広まっていた。小泉さんの元には、各国の旅行業界関係者から驚きや喜びにあふれたメッセージが次々に届いた。
研修など企業や団体の性的少数者に関する取り組みを総合的にサポートする会社「アウト・ジャパン」会長でもある小泉さんは、アナウンス変更について、日航の東原さんから相談を受けていた。ゲイであることを公表している小泉さんは「それまでアナウンスに違和感を持っていたわけではなかったので、最初に話を聞いたときには正直ピンときませんでした」と打ち明ける。
まずはアウト・ジャパン関連会社のロサンゼルス事務所の社員に、ヒアリングを依頼した。米国を中心に状況を調べたが、アナウンスの内容に注目している人は少ない印象を持った。
「同性婚など性的少数者の権利の実現に熱心な国や地域でも、旧来のアナウンスが使用され続けていて、『見直す』という発想がないように感じました」
海外の専門家らに日航が候補に挙げた新しいアナウンスの表現内容を確認してもらい、東原さんにアドバイスした。
今回の日航のアナウンスの変更について、小泉さんの目には、国内はもちろん、海外からの反応がとても大きく映ったという。
「性的少数者の権利の向上については、どちらかというと日本は後発組。その日本企業が先んじて動こうとしている姿勢がすごいと思ったし、海外からの大きな反応がうれしかった」
世界の反響を知った東原さんは、こう思ったという。「海外に驚かれたのは、ちょっと意外でした。ただ、既存の表現の是非を問いたいわけではない。日航のアナウンスを聴いた方に、ジェンダーや性の多様性について考えるきっかけになってほしい」