「近海丸」沈没事故から76年 悲劇を後世に 淡嶋神社で犠牲者慰霊

神事の後、慰霊碑の前で事故が起きた海を見つめながら犠牲者への思いを語る松本宮司=長崎市、淡嶋神社

 太平洋戦争末期の1944年12月24日、長崎市小江町沖で渡海船「近海丸」が沈没し、273人が犠牲となった事故から76年となる24日、同市向町の淡嶋神社で慰霊祭が営まれた。
 式見郷土史などによると、沈没したのは長崎交通船が長崎港大波止-長崎市三重地区間を運航していた木造渡海船「近海丸」(26トン)。三重から式見を経由し、途中で沈没した。
 乗客乗員338人のうち助かったのは65人だけ。定員80人の約4倍の人を乗せていて、荒波を受け右舷に傾きバランスを失って転覆したとされる。犠牲者の中には疎開中の子どもたちも含まれていた。大事故でありながら記録や資料は少なく、広く知られていないという。
 事故後50年たった94年に地元有志らが同神社境内に「近海丸殉難者之碑」を建立。この女性像は同市の彫刻家の故山﨑和國さんが手掛けた。慰霊祭はこの時が初めてで、松本亘史宮司(69)が毎年ひっそりと続けてきた。
 この日も松本宮司が神事を営み、参列者が祭壇に玉串をささげた。松本宮司は「家族に正月用の物資を届けようとした人もいただろう。魂を慰め、悲劇を後世に伝えていきたい」と話した。

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