2013年の日本一、地域密着型ボールパークへ ファンと共に進化した楽天の軌跡

楽天が歩んだ歴史を振り返る【写真提供:楽天野球団】

日本一達成後は苦難の連続

2019年に球団創設15周年を経た楽天。スタートの分配ドラフト、東日本大震災などさまざまな苦難を乗り越え、2013年には日本一を成し遂げるなど、ファンに愛される球団へと着実に成長を続けている。

そこで、その苦楽を振り返りつつ、15年の歩みをたどっていく。第4回は「地域に愛される球団を目指して」。日本一達成後の戦績や、本拠地・楽天生命パーク宮城の象徴ともいえる観覧車を筆頭に展開される「ボールパーク」について触れていく。

悲願のリーグ優勝、日本一を手にした2013年オフ、エース・田中将大投手がポスティングシステムでニューヨーク・ヤンキースに移籍。そして打線をけん引したマギー選手もメジャーに復帰するなどして迎えた2014シーズン。開幕カードを3連勝で飾るも、以降は黒星が先行する苦しい展開に。月別で見ても、3月と9月以外は勝率5割を切るなど、シーズンを通して厳しい状況が続く。終わってみれば64勝80敗、勝率.444で最下位に沈み、星野仙一監督は2014シーズンをもって退任した。

そして2015年、大久保博元氏が新たに監督に就任するも、序盤から低迷し、最終的に57勝83敗3分で首位・福岡ソフトバンクに33.5ゲーム差を付けられての2年連続の最下位に沈む。チーム打率、チーム防御ともにリーグ最下位と、投打ともに苦しんだシーズンとなった。なお、この年の7月28日に松井稼頭央選手が球団史上初となるNPB通算2000安打を達成。また、長年チームを支え続けた永井怜投手、小山伸一郎投手、斎藤隆投手が現役を引退した。

新たに梨田昌孝氏を監督に据え、FAで今江敏明内野手を獲得して臨んだ2016年。ルーキー・茂木栄五郎内野手が球団史上初となる新人野手開幕スタメン出場を記録した。4月までは善戦したが、5月に9連敗を喫するなど勢いに乗り切れず、一時は最下位に転落。交流戦でやや盛り返し前半戦を4位で折り返すも、再び失速し、62勝78敗3分の5位で終了した。

この年の個人タイトルは、則本昂大投手の最多奪三振のみとなったが、ベテラン・藤田一也内野手がゴールデングラブ賞を受賞し、リーグトップの得点圏打率.330をマーク。ウィーラー内野手がリーグ3位タイの27本塁打をマークするなど、個々の活躍は光った。

ファンとともに作り上げた”地域密着型ボールパーク”

そして2016年、楽天の本拠地・楽天koboスタジアム宮城が大きく生まれ変わり、“世界に誇るボールパーク”が完成した。フィールドは全面青々とした天然芝に張り替えられ、スコアボードは全てLED化。そして今や楽天生命パーク宮城の象徴にもなっている観覧車が設置され、「野球場」から「観光スポット」の一つへと進化した。後にメリーゴーランドも新設され、観覧車とメリーゴーランドの2つが試合観戦可能エリアに設置されている球場は、日米初となった。

また、観覧車がそびえ立つレフト側後方にはスマイルグリコパークがオープン。当日に観戦チケットがあれば誰でも入園でき、子どもからお年寄りまで幅広い年代の方が楽しめるようになっている。また、地域との連携にも力を入れており、地元の高校生と協力して地域の子どもたちに植物の育て方をレクチャーし、育った植物をスマイルグリコパークに展示するなど、季節に応じたさまざまなイベントを行っている。

こうして進めてきたボールパーク化の結果、観客動員数は順調に伸びていった。まず、ボールパーク化が実現した2016年に162万961人で球団記録を更新すると、2017年には177万108人で再び記録更新。さらに2019年には182万1785人にまで伸ばしている。観客席を増築したため、2015年以前の観客動員数と単純に比較することはできないが、球場のボールパーク化が観客動員数の増加に大きく寄与したと言える。

また、今でこそ主流になりつつある「キャッシュレス(非現金)決済」。楽天は一足先に2019シーズンから球場内を完全キャッシュレス化を行い、現金を使用不可とした。そして、2015年8月には球界初となるコミュニティFMラジオ「Rakuten.FM TOHOKU」が開局され、オフには選手もラジオ番組に登場するなど、他球団がまだ開拓していない分野にも力を入れ、進化を続けている。

このようにして球場周囲の広い敷地を生かし、誰もが「また来たい」と思うようなボールパーク作りを進めている楽天。第5回では、チームの再編、強化を通して行われた着実なチーム力の底上げ、そして現在のチーム状況と今後の展望について触れていく。(「パ・リーグ インサイト」後藤万結子)

(記事提供:パ・リーグ インサイト)

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