内村や羽生の奥深い演技を理解できない「無粋」なAI採点の限界

羽生のスピンは「0点」と採点された(代表撮影)

【取材のウラ側 現場ノート】かつて甲子園を沸かしたA投手とB選手。2人のスターはプロへ進んだ後も名勝負を繰り広げ、20年後に再び対決。シーズン終盤の消化試合、マウンドにA、打席にはB。2点差の9回裏二死2、3塁、カウント3―1。これが最後の対戦になるかもしれない。1塁は空いているが、ファンの期待は三振か本塁打。Aが投げた渾身の直球はわずか0・1ミリ外角に外れた――。さて、あなたが主審だったら判定は?

先月28日、人工知能(AI)の研究者ら約60人が集まる人工知能学会の研究会が開催され、こんな架空設定が実際に議論の対象となった。AIなら問答無用で「四球」だろうが、出席者の約8割が「自分ならストライクと判定」と回答。海の向こうの米大リーグでは「ロボット審判」に賛否あるが、驚くべきことにAI技術を推進する技術者でさえ、時として正確さより〝粋〟な判定を求めているようだ。

「審判に必要なのは公平公正。ただ、皆さんはスポーツにドラマチックを求めているようです」。そう語るのは日本体操協会の高橋孝徳男子審判本部長(52)。冒頭のお題を学会でプレゼンした人物だ。

体操競技はいち早くAI採点の導入を決めた。肉眼では限界があった数ミリ単位の角度のズレを正確に判定。「審判の情が入らなくていい」と歓迎する選手もいるが、一方で「美しさを数値化できるのか」というテーマにもぶつかる。「カラオケ採点で正確に音を取って100点を出した人が金メダルか、音を外しているけど感動させた人が金メダルなのか」。高橋氏は「審判とはどうあるべきか」という根源的な問題と日々、向き合っている。

体操界のレジェンド・内村航平(31=リンガーハット)はAIでは判定できない奥深い演技ができる。鉄棒のバーをつかむ瞬間にあえて遅らせ、余裕を感じさせる「美」。AI判定では減点になり得るが、審判の心を打つ。ロス五輪金メダルの具志堅幸司(64)は歌舞伎の「見え」をヒントに、つり輪でわずかに顔を上げる所作を取り入れた。これも「人」にしか伝わらない。

AI技術者の中には「雄大な富士山の美、夕日の郷愁などもAIに学習させればいい」と唱える人もいるが、フィギュアスケートの羽生結弦(26=ANA)の指先までの美しさを果たしてAIが理解できるだろうか。体操の採点支援システムを作った富士通開発者が「AIはあくまで支え。人間に取って代わってはいけない」と主張するように、人類とAIの「共存」がスポーツの価値を高めるのではないか。

もう一つ、高橋氏はこんな議題を提示してきた。障害を抱え、一度も公式試合に出られなかったサッカー少年が卒業前の最後の大会に出場。温情での起用だ。チーム全員が少年にパスをつなぎ、奇跡のゴール…と思われたが、よく見ると直前でハンドがあったという。この話を振られた人はみな「ゴールでいい」と答えるという。杓子定規に判定することは「公平」ではなく「無粋」になる。そんな〝大岡裁き〟は、何百年たってもAIにはできないだろう。

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