田中恒成、4階級制覇への思い 大晦日、WBOスーパーフライ級王者井岡一翔に挑む

 新型コロナの影響で日常は激変し、人々は多くのものを失った。いまだ先を見通すことのできない世界だが、ボクサーはその存在を賭け、頂点に挑み続けている。2020年大晦日の世界ボクシング機構(WBO)スーパーフライ級タイトルマッチは、世界中のボクシングファンが注目する日本人同士のビッグカードだ。

 3階級を制覇した挑戦者の田中恒成(25)は世界最速の4階級制覇を掲げ、チャンピオン井岡一翔(31)に挑む。コロナ禍で国内外の世界戦は次々と中止になり、恒成の試合は昨年大晦日にフライ級防衛をかけて臨んだウラン・トロハツ戦以来1年ぶり。日本人初の4階級制覇を成し遂げた王者と、ついに激突する。(元共同通信写真部記者=稲葉拓哉)

大晦日に対戦する井岡一翔(左)と田中恒成

 ▽井岡への思い

 「ボクシングを始めた頃、テレビで観ていたのは井岡選手や亀田選手の試合でした。とてもかっこよかった」

 井岡に対しては特別な思いがある。高校3年のインターハイ前、ボクシング部の活動で井岡の母校である興国高校へ合宿に行った際、2人は一度スパーリングを経験した。

 「先生に突然井岡選手のジムに連れて行かれて、向こうは世界チャンピオン、こっちは高校生という立場でスパーリング。ジムの雰囲気も怖かったし、スパーリングでは鼻血も出て前歯も折られた。それから差し歯に替えたんです(笑)」

 その後、恒成も世界チャンピオンとなり、大晦日に同系列の局でテレビ中継されるようになったが、メインの試合はいつも井岡だった。地方を主戦場とする恒成はそのサブのように扱われてきた。悔しさも芽生え、いつの日か井岡と戦いたいという意識は強くなる。

 「プロデビューして7年経って、ようやく同じ舞台に立つチャンスがきた。技術面でレベルの高い試合になるのは間違いないけど、お互いの年齢や背負っている立場もある。日本人同士の対戦は失うものも大きい。意地と意地がぶつかり合って激しい試合になるから、観る人も感動してくれるはず」

井上拓真(右)とスパーリングをする田中恒成=2020年11月 (畑中ボクシングジム Andre 提供)

 ▽高校時代のライバル井上拓真とスパー

 井岡戦に向け、恒成は11月、関東へスパーリングの合宿に向かった。パートナーに選んだのは大橋ジム所属の元WBCバンダム級王者井上拓真(25)だ。高校1年のインターハイで初めて対戦した時から、高校ボクシング界を賑わす存在だった2人。だが、大会以外で顔を合わせたことはほとんどなかった。

 2人が拳を交えるのはおよそ8年ぶりだった。久しぶりの対戦に恒成は「すごく懐かしい感じがした。今でも変わらず強かった」と話す。 井岡戦を前に大きな収穫があった。同世代の選手同士で、お互いの成長を実感できたことだ。

 「次の試合で世代交代をしたいという気持ちもある。俺たちもこれだけ強くなった。これからは日本のボクシングを引っ張っていきたい」

WBCバンタム級暫定王座に就いた井上拓真=18年12月

 高校を卒業してプロ入りしてからも恒成は拓真の活躍に刺激を受けてきた。スパーリングを通して良きライバルと今の実力を確かめ合えたことで、原点に立ち返り自信を深めた。

 拓真も恒成にエールを送った。 「8年ぶりにスパーをして、(恒成の)実力の高さを改めて感じた。最速4階級制覇を期待しています。これからは同年代として、ボクシング界を盛り上げていきましょう」

 ▽普段はひょうひょうとしているが…

 恒成の高校ボクシング部の監督石原英康(いしはら・ひでやす)が思い返すのは、恒成と拓真が3度目に対戦した高校1年の選抜大会だ。ラウンドごとに結果がわかるシステムが採用されており、2ラウンドを終えた時点で恒成が大差で負けていた。思うような試合運びができず、機嫌も悪くなり石原のアドバイスに耳を傾ける素振りもなかったという。

田中恒成(手前)の練習を見つめる石原英康=2019年

 「3ラウンド目の前は僕も恒成の態度が頭にきて、ぶん殴ってこいとしか言いませんでした。そしたらあいつも頭にきたみたい。しこたま殴って帰ってきた」。恒成について「普段はインテリっぽくひょうひょうとした雰囲気を装っているけど、スイッチが入ると噛み付いてくる」と話す。

 その試合、恒成は敗れたが、石原には勝った拓真の方がうなだれているように見えた。

 「お前はただ負けただけ。だから得るものがなかった。でも、向こう(拓真)は最後にひたすら殴られたから、次やるときには絶対成長してくるな」。敗戦後、石原からの厳しい言葉に恒成が感情を表に出すことはなかったが、その日以降、毎日のように基本動作の練習を繰り返すようになった。

 「悔しかったんでしょう。本人もあまり好きじゃないはずの基本動作を一からやり直していましたね」。翌年、2年生のインターハイ決勝では恒成が拓真を圧倒した。「僕の印象ではプロデビュー前の恒成のベストファイト」。石原も讃えた試合だった。

 「行き詰まった時に自分の立ち位置を考えて行動できれば、新しい世界は開けてくる。それが彼をスターダムに押し上げることになる。恒成にはもっともっとボクシングを楽しんでほしい。悔いのないボクシング人生を送ってほしい」

田中恒成のYouTubeチャンネル (畑中ボクシングジム Andre 提供)

 ▽動画配信で新たなファンとつながり

 20年6月に恒成はYouTubeで動画チャンネルを開設した。ライバル選手のマッチレビュー、自身の世界戦の振り返り、練習動画などをアップしている。「コロナ禍で人との関わりがない中、ボクシングで何かやれることがないかと思っていたら、周りが勧めてくれた」。SNSには当初否定的だったが、動画の視聴者からの反応がモチベーションにつながってきたという。

 「始める前は、登録者数とか再生回数とか目に見えてわかっちゃうから嫌なイメージだったけど、やってみたらそんなに気にならないなって。(コロナが)落ち着いたら試合前の控え室や会見の裏側、試合だけじゃ伝えきれないボクサーとしての自分をどんどん発信したい。自分のボクシングについて、やれることを何でもやりたい」

zoomでインタビューに答える田中恒成=6日

 3年前、まだ中京大学に通う学生だった恒成に見せてもらったノートがある。プロになってから毎日ボクシングへの思いを書き続けていたノートだ。そこには「日本一、多くの人に応援してもらえるボクサー」というフレーズがたびたび登場した。

 「自分のボクシングに夢を見てほしい。ファンが望んでくれる対戦カードは俺もやりたい。俺のボクシングはそういうボクシング」。注目を浴びる選手になりたい、ボクシングで有名になりたいと公言していた大学生の夢は、コロナ禍の動画配信を通じて新たなファンと繋がっていった。

 ▽チャンス、必ずつかむ

  試合が終わった時に自分はどうなっていると思いますか、と尋ねた。

 「チャンピオンになれば海外のプロモーターからも声がかかると思う。夢だった海外で試合をする道が開けるはず。はじめて訪れた大きなチャンス、必ず掴む」。言葉に曇りはなかった。

 中京の怪物、ドリームボーイ、雑草に対するエリート―。これまでメディアが取り上げる度にさまざまな呼び名が飛び交った。が、それももう聞こえてこない。世界最速の4階級制覇を目指すボクサー、田中恒成としての闘いが始まっている。大晦日、夢の舞台で恒成はファンに何を伝えてくれるだろうか。

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