【高校野球】「クビを何回言われたか…」3度“戦力外”の元プロ監督 生徒たちに伝えた経験とは

常総学院・島田直也監督【写真:荒川祐史】

常総学院・島田直也監督は1987年に春夏甲子園出場時のエース

日本ハムや横浜(DeNA)など投手として活躍した島田直也氏が今年7月の新チーム発足後、母校・常総学院(茨城)の監督に就任し、来春の選抜大会出場へ当確ランプを灯した。新指揮官は1年目から好結果を出した。そこには現役時代、3度の自由契約となりながらも、一年一年が勝負の世界で戦ってきたからこその指導力があった。

指を折りながら、自分の野球人生を振り返る。在籍したチーム数は片手では収まらない。そして、シーズンオフのこの時期、戦力外通告や選手の去就の情報を目にすると、現役時代最後の頃を思い出す。

「野球選手なら辞めたあと、自分は何の仕事ができるんだろうか、と誰もが思います。私はたまたま、裏方であったり、独立リーグであったり、ユニホームを脱ぐことなく、今までやって来られました。野球関係の仕事をやりたい人がたくさんいる中で、やらせてもらえているので、周りの方々にとても感謝をしています」

島田監督のプロフィールを見てみる。1987年に常総学院で春・夏甲子園に出場し、同年ドラフト外で日本ハムに入団。芝草宇宙投手(現・帝京長岡高監督)とSSコンビとして人気に。1992年からは横浜大洋(現DeNA)でプレー。中継ぎ右腕として1998年の日本一にも貢献、オールスターにも出場した。2000年シーズン後に自由契約となり、ヤクルトと契約。最後は近鉄を経て、現役生活を終えた。3度も自由契約になったことになる。

引退後は日本ハムの打撃投手となり、2007年から2014年はルートトインBCリーグ・信濃や徳島で監督、コーチを歴任した。2015年から2017年は古巣・横浜DeNAで2軍投手コーチを務め、その後は球団職員としてDeNAのジュニアコーチを務めた。昨年までユニホームにずっと袖を通していた。今年からは33年ぶりに母校のユニホームを着ることとなった。

どこに所属しても厳しい競争社会の中、常に結果を求め、上を目指してきた。島田監督は引退後の23年間も野球界に身を置き、今度は高校野球という新たな世界で挑戦をしている。そして高校指導者1年目で、秋季関東大会で準優勝し、選抜出場が濃厚という“快進撃”。目標とする甲子園切符を手に入れようとしている。

「結局、『クビ』を何回、言われたかわからないです。でも、タイミングよく、声をかけていただけたことに感謝しないといけませんね。どのチームでも、指導者になって結果を出すということは嬉しいことです」

常総学院・島田直也監督【写真:荒川祐史】

新チームから監督に…厳しい勝負の世界に身を置いていたからわかることとは

その喜びが島田監督の原動力となっている。選抜当確を決めるまで、決して順風満帆とはいかなかった。今春、学校から打診を受け、常総学院のコーチに就任。しかし、新型コロナウイルスの感染拡大により、部活動は活動自粛に。全選手の名前を覚えようとしている最中だった。今の3年生には十分なアドバイスを送れないままだった。

夏の独自大会は3回戦で敗退。名門復活を託され、7月の新チームから監督となった。今の生徒たちは自分から率先して動けない集団だったため、プロの練習のようにグループ分けをして、早いサイクルでフリー打撃、ティー打撃、基礎トレーニングなどを回すような練習を導入。放課後のチーム練習は約2時間程度に抑え、後は自主練習の時間を作った。

時間は待ってはくれない。たくさんあると思ってもいけない。一瞬、一瞬に全力を注ぐ意識を持たせ、無駄な時間を省いた。

それは引退してからの野球人生で学んだ感覚だった。

「監督1年目ということで、プレッシャーはすごく感じました。結果が出るのは早かったと自分でも思います。今後、負けられなくなっちゃいますよね(笑)。でも、ある意味、結果を早く出した方がよかったのかなとも思います。『2、3年後でいいよ』って言われたとしても、その2年後、3年後に僕が(学校に)いるかどうかなんてわからないですから。子供たちにも、一年一年が勝負と教えています」

勝負の世界に身を置いてきたからこそ、自信を持って言える。島田監督はすぐに結果を出すことに尽力した。勝つことだけを叩き込むのではなく、社会に出ていく人間として大切なことも教えてきた。

「僕は教員でも何でもないので、野球で教育をしながら大事なことを覚えていってもらうしかないんです。それこそ、レギュラーが絶対じゃないし、今後、社会に出てメンバー外だった人だって、エリートになる可能性だってある。そういうことも教えていかないといけないと思っています」

ベンチ内でのコミュニケーションは欠かさない。「口下手で人見知り」と自認するだけあって、決して簡単なことではない。だが、監督に直接、話しかけらた選手は些細な事でも嬉しい。それがわかっているから、選手の特徴を理解し、語りかける。

「当然、みんな、背番号をもらいたいと思ってやっています。だけど、それだけじゃないよというのも言っていかなきゃいけない。逆に背番号をもらった選手は、必死でやらないとダメだよと言うことも伝えています。みんなの代表なんだから」

野球で花を咲かせることができる時間は短い。いつ終わりが来るかはわからない。ただ、可能性がある限り、子供たちには野球に携わり、成長をしていってもらいたい。喜びも苦悩もプロ23年間で経験してきたからこそ、その経験を還元していくことが使命でもある。(楢崎豊 / Yutaka Narasaki)

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