<いまを生きる 長崎コロナ禍>集い 笑う日常 奪われた1年  居場所「独りにしない」 突然の悲報 最期の別れできず

 

 人が集い、笑う。そんな当たり前の日常が、突然奪われた1年だった。

 新型コロナウイルスの感染が拡大した4月末。東彼川棚町の主婦らでつくるグループ「井戸端 みんなでワハハ」は、地域住民が集う活動拠点を引き払った。それでも取材に「再出発」を誓った通り、別の空き店舗を借りて10月から活動を再開。5月の記事掲載後、町が家賃補助などの支援を申し出たのだ。

 多くの人が外出や会合を控え、「新しい生活様式」を実践している。「若い人たちは対応できたかもしれない。でもできない人もいる。こういうときこそ、居場所が必要」。代表の藤田直子さん(63)は、再開の意義を強調する。
 新しい拠点の名前は「E basyo ワハハ」。人が支え合い、助け合える居場所を目指す。消毒や検温、利用者同士の間隔など注意点は増えた。「まだ正解はわからない。でも、もう独りぼっちはつくりたくない」。住民と地域をつなぎとめる試みは続く。

新たな拠点で再開した「E basyo ワハハ」=東彼川棚町

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 コロナ禍は、最期の別れを告げる機会をも奪った。春から五島市の五島日本語学校で学ぶベトナム人留学生、フイン・タン・グエンさん(20)。5月に母国の母を亡くしたが、渡航制限のため帰国できていない。
 同校1期生。不安と緊張の中での新生活は、近隣住民が届ける野菜や米などの「善意」に支えられ、何とか軌道に乗り始めていた。その矢先、悲報が届く。
 5月8日、体調を崩し入院した母に電話した。母は「痩せてしまって恥ずかしい」とテレビ電話の画面には姿を見せず、反対にグエンさんの健康を気遣うばかり。その1時間後、容体が急変。兄からの電話で、母が52歳の若さで旅立ったことを知った。
 取り乱すグエンさんの肩を、学友や教員がそっと抱いた。校内の食堂に祭壇も設置してくれた。島民らとサッカーに興じる時には、寂しさを少し忘れられた。
 「お母さんは強くて、真面目で、きれいな人」。寮の自室に移した祭壇に線香を上げながら、そう教えてくれたグエンさん。来年度は県立大への進学を目指して勉強に一層打ち込み、学校を卒業後には母に会いに行くつもりだ。日本で学ぶ「夢」を応援してくれた母は、写真の中でずっと笑顔を浮かべている。

寮の自室に飾った母親の遺影に手を合わせるグエンさん=五島市坂の上1丁目、五島日本語学校

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