志村けんさん 愛した夜の街で悲しい仕打ち「話をするのはやめよう」

笑顔が素敵だった志村さん

新型コロナウイルスによる肺炎のため、3月29日に70歳で亡くなったコメディアン志村けんさん。その当時、志村さんがこよなく愛した〝夜の街〟が感染拡大の悪者とされてしまった。

「志村さんをめぐっては、夜の街が感染経路という噂が広がりました。志村さんの死でクラブやキャバクラ、ガールズバーなどへの風当たりは厳しくなり、志村けんさんが通っていたと噂された店には『お前らが殺したんだ!』と脅しの電話が来たり、SNS上でも猛バッシングが展開された」(中央区の飲食店経営者)

麻布十番、西麻布や六本木でも同じようなことが起きていたという。

感染拡大の終息が見通せない状況も重なり、本来なら志村けんさんが愛した店などでは、人柄を懐かしみながら談笑する光景があってもよさそうだが…。不思議なことに〝志村けんさん禁止〟になっているという。

「志村けんが通っていたとされた店は感染経路などを疑われ、客足が遠のいた。みんな怖くなって志村さんについて、口をつぐむようになったんです。志村さんのことを聞かれても『1、2回お会いしただけ』『最近は来店していなかった』とか話すぐらい。みんな〝話すのはやめよう〟という感じですよ」(前同)

今は家庭内感染などが多く、夜の街関連の新規感染者は激減しているが、世間の目はまだまだ厳しいものがある。感染の噂を少しも立てられまいと、否定したくなる気持ちも分からないではない。

「特に競争の激しい銀座では、ライバル店潰しに利用され、『あの店で感染した』などと真偽不明のデマが流行。刑事告訴するトラブルまで起きている」(前同)

志村さんといえば、豪快な飲みっぷりと、尋常ならぬ気前の良さで夜の街を潤してきた。

「ママに『店の売り上げが厳しいの…』と泣きつかれたときは高いボトルを入れ、お腹が空いて店を離れて寿司屋などで食べた後、同じ店に戻って高価な酒を頼んで喜ばせたこともあった。たしかに若い子好きではあったが、店にとってはまさに〝志村様様〟だった」(前同)

20代の若い美女好きで、巨乳ならさらに羽振りが良かったという志村さん。女の子が地方出身で、苦労話を聞けば、周りが〝作り話〟を疑ってもポンと気前よく何枚もの万札を渡すこともあった。

「女の子がそんな志村さんの豪快エピソードを話せば、店は猛バッシングを浴びるでしょうね…」。これもすべてコロナ禍のせいなのかもしれない。

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