武田修宏 サッカーに通ずる芸能界〝処世術〟「恩人はラモスさんとアッコさん」

芸能界でも活躍する武田修宏

サッカー元日本代表FW武田修宏氏(53)の〝処世術〟とは――。ロッテの『マイニチケアガム 血圧が高めの方のミントガム』のテレビCMに出演した武田氏は、現役引退から18年が経過した現在でも入れ替わりの激しい芸能界の第一線で活躍中だ。サッカー界よりも厳しい芸能界のサバイバルレースを勝ち抜いてきた理由とともに、2人の恩人の存在を明かした――。

「ロッテ」のテレビCMに出演した武田氏は、春ごろにオンエアされていた三井不動産のCMに続き今年2社目。日本代表の現役選手でもテレビCMで目にする機会が少ない現状の中で、引退から18年が過ぎた元アスリートへのオファーが届くのは異例なことだ。

武田氏は「起用してくれた企業に感謝だね。引退してもテレビCMに出れるのは、本当にうれしいこと。同世代のカズさん(三浦知良)は現役で頑張っているし(日本代表監督の)森保も世間の厳しい重圧に耐えながらチームを強化している途中。高校の先輩(長谷川)健太さんも含めて世界は違うけど、みんなが刺激になっている」という。

静岡・清水東高時代からのスター選手で1986年に読売クラブ(現東京V)入り。端正なルックスでアイドル的な人気を誇った。87年に日本代表に初選出されると、デビュー戦で初得点をマーク。19歳333日の得点は当時第5位の年少記録だった。Jリーグ発足後もゴールを量産し続けたが、2001年シーズン後に現役を引退。かねてマネジメント契約していたホリプロで再スタートした。芸能界入りに際しては、日テレ学院アナウンススクールに自費で入学し、話し方などを勉強。身だしなみにも気を使った。

「いろんなバラエティー番組にも呼んでもらえたけど、1回1回が勝負だった。そこで結果を出さないと、もう一度、番組に呼んでもらえないからね。サッカーと同じで番組収録がアピールの場、サバイバルだった。失敗すれば再びチャンスをもらえるかどうかもはわからない。仮に他の元アスリートが出演して、番組を盛り上げれば、その後は完全に呼ばれなくなるでしょ。だから、この世界で生き残るために必死だったよ」

芸能界で人脈を築くために、積極的に食事に出掛け、普段はあまり飲まないお酒も口にした。実際、芸能界に転身したサッカー選手で、タレントとして現在も活躍している人はほぼいないが、現役引退から18年が経過しても、仕事が途切れないのは武田氏の人柄とともに、陰の努力があったのは言うまでもない。

武田氏によると、芸能界はサッカーと向き合い方が似ているという。

「もちろん、努力しなければ使ってもらえないわけだし、そこでいいプレーをするにはチームメート、共演者と意思統一し、連係が必要になる。だから周囲とコミュニケーションを取るのも欠かせないこと。厳しいプロの世界にいたからこそ、芸能界も同じような環境だと感じられた。現役時代と同じように体調管理も大事なことだし、真摯に向き合っていく」という。

そんな武田氏は2人の恩人がいたという。一人はサッカー元日本代表で10番を背負ったMFラモス瑠偉氏(63)だ。

「同じチームで新人のころから厳しく言われてきた。ラモスさんのきつい指導がなければ、日本代表になれなかったかもしれない。それに芸能界もラモスさんの厳しさに比べればって思ってしまうからね。でも、厳しいことを言ってもらったから、何事もあきらめないでやろうと思える。ラモスさんのおかげ」

もう一人は、歌手の和田アキ子(70)。同じホリプロの大先輩で芸能界の大御所だ。

「現役をやめてから、よくしてもらった。家にも呼んでいただき、イロハを教えていただいた。きつい言葉もあったけど愛情があったから。本当に助かっている。和田さんのお陰で番組に呼ばれても物怖じしなくなったからね」と振り返った。

かつてスター選手だった武田氏がタレント活動を始めた当初、バラエティー番組などに出演すると、サッカー関係者から批判的なことを言われたという。だが、最近では状況も一変。元日本代表DF中沢佑二氏(42)から「僕がこうしてテレビに出られるのも武田さんが道を開いてくれたお陰です」と感謝されるまでになった。

武田氏は「引退した選手にとってセカンドキャリアの参考になればいいかな」としみじみと語っていた。

© 株式会社東京スポーツ新聞社