地域の支え、誇りを胸に飛躍 野球部後援会 数人から400人超

九州大会で選手たちをスタンドから励ます大崎の応援団=長崎市、県営ビッグNスタジアム

 にぎりずしに魚のあら汁、煮付け…。ローストビーフなどの洋食もずらりと並んだ。九州制覇から約1カ月後の昨年12月9日。清水央彦監督や選手が生活している西海市崎戸町の大崎高野球部合宿所で、漁師やシェフ、すし店主らを含むOB会が祝勝会を開いた。「冬の練習は厳しいだろうけど、よく食べて耐えて、春のセンバツをつかんでほしい」。浦口敏海会長(63)はチームに呼び掛けた。
 こんなシーンを誰が予想していただろうか。歴史をたどれば1961年秋の県大会で初優勝し、翌62年夏は長崎と佐賀各県上位2校で1枠の甲子園切符を争う西九州大会決勝まで進んだチーム。だが、以降は生徒数減少などに伴い、そこはテレビで見るだけの場所となっていた。
 地域の衰退-。少子高齢化に歯止めがかからず、多くの地域が同様の悩みを抱える今、大崎地区は懸命にあらがっている。2018年春に就任した清水監督の手腕や選手たちの努力が一番だが、指揮官は「それだけではない」と強調する。「たくさんの人の協力に尽きる」と。
 清水監督や選手は県内各地から島内へ移り住んできた。“地元住民”となるのは容易ではない。それでも、道端での元気なあいさつ、地域行事へ参加、何よりも親元を離れて必死に白球を追う姿は、自然と注目の的になった。「農作業中にあいさつをしてくれた」「草刈りを手伝ってくれた」-。合宿所にはさまざまな人から新鮮な野菜や魚などが届くようになった。

野球部OBの料理人たちが腕をふるった昨年12月の祝勝会=西海市崎戸町、大崎高野球部合宿所

 チームが結果を出すと、さらに沸いた。19年秋、58年ぶりに挑んだ九州大会は自陣の三塁側スタンドに収まらないほどの人が応援に来た。清水監督就任前に数人で発足した野球部後援会は、今では400人を超えた。「簡単じゃないよ」。当初はそんな声もあったが、地道な活動がうねりを生み始めた。
 1980年代にコーチ、監督を務めた松井利明OB会副会長(60)は言う。「まず、覚悟を決めて入学させてくれた選手の親御さんに感謝。かつての大崎とは次元が違う。全国の卒業生からの問い合わせ数もすごい。そうした注目を誇りに頑張ってほしい。甲子園に1回出て終わりではなく“常勝”を。チームの活躍を第一に継続して支えたい」


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