【プロレス蔵出し写真館】激レア?藤波が黒のロングタイツで登場 実は猪木も…

初のロングタイツで勝利を収めた藤波(1987年10月14日、岐阜・飛騨高山)

「ドン荒川?」「イヤ、荒川じゃないよ。藤波だよ。藤波」。藤波が登場し、リングに上がった姿を見た観客から声が上がり、館内には戸惑いムードが…。〝炎の飛龍〟藤波辰爾が、力道山ばりの黒のロングタイツを履いていたのだ。

プロレス生活18年目で初という黒のロングタイツ姿の藤波辰巳(当時)は、スティーブ・ケーシーをラリアートから体固めでフォールし、勝利した(写真=1987年10月14日、新日本プロレス岐阜・飛騨高山体育館)。

カゼと寒さ対策、ショートタイツを忘れてきたなどの説があったが、藤波は「18年間ショートタイツで突然こんなふうに格好を変えるのはとても勇気がいるんだ。でも、レスリングスタイルや考え方を柔軟にして形にとらわれないようにする必要があると思う。このロングタイツはその手始めですよ。クリーンな俺のイメージを変えていくことも必要さ」と語った。

これは多分に、世代闘争が決着を見ぬまま終了の流れになったことが影響しているのだろうか。この試合の8日前、6日に北海道・月寒グリーンドームで行われたナウリーダーズ(坂口征二、藤原喜明、ジョージ高野、高田延彦、武藤敬司)VSニューリーダーズ(藤波、長州力、前田日明、木村健吾、スーパー
・ストロング・マシン)のイリミネーションマッチに勝利した藤波は、試合後に不満を露わにした。

全日本プロレスから新日本にUターン移籍した長州力が、アントニオ猪木に向けマイクアピールして(6月12日、東京・両国国技館)始まった世代闘争も、テーマが希薄になり、月寒大会では猪木が欠場するというオチがついた。藤波は「猪木さんが来ないんだったら、ニューリーダー対決の方向に走る」と語った。

さて、黒のロングタイツ姿は、過去、アントニオ猪木も披露したことがある。

それは、1975年9月19日、千葉公園体育館でのこと。左足のウィルス関節炎という病気でシリーズを開幕戦から欠場していた猪木は復帰戦に黒のロングタイツで登場してファンを驚かせた。試合当日の朝、主治医の菊屋橋病院・佐藤三蔵医学博士は猪木に「(大事をとって)サポーターを着けてやりなさい」と言い、それに対して猪木は…。

「ファンの人に不安を与えるし、出る以上サポーターははめられない」と返答した。ロングタイツは包帯を隠すためだったようだ。

猪木と藤波の共通点はサポーターを着けないこと。それは、新日本創設から連綿と続くストロングスタイルの象徴が黒のリングシューズに黒いショートタイツだったから。

藤波が黒のロングタイツで試合をしたのは、その後3回のみ。藤波が模索していた格好も含めたレスリングスタイルは、やはり黒のショートタイツ、ストロングスタイルだったようだ(敬称略)。

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