酔いどれ詩人フィル・ライノット、アイリッシュ・ウイスキーを飲みながら… 1986年 1月4日 シン・リジィのフロントマン、フィル・ライノットが亡くなった日

シン・リジィとそのフロントマン、フィル・ライノットの魅力

どうしようもなくロックンロールが聴きたい時、僕はシン・リジィのアルバムを手に取るようにしている。北アイルランド・ベルファスト出身の友人が山のように貸してくれたCDは薬のようによく “効き”、美味しいギネスビールやアイリッシュ・ウイスキーのように体に染みわたる。

シン・リジィ。このロックンロールバンドの素晴らしさは、グループのフロントマン、フィル・ライノットの魅力によるところが大きいと僕は思う。185cmの長身と長い手足。ベースを持つ位置は腰より上。ピックガードが鏡になっており、それがステージの光を反射して観客を照らす。時には銃のように構えてソロを弾く。どうしようもなくかっこいい。

ゲイリー・ムーア、ジョン・サイクス… 在籍した名ギタリストたち

日本でフィルの曲が最もかかったのは2014年かもしれない。ソチ・オリンピックで羽生結弦選手の素晴らしいショートプログラムで使われた「パリの散歩道(Parisienne Walkways)」。ゲイリーのギターの流麗な素晴らしさは言うまでもないが、この曲はシン・リジィに在籍していたゲイリーとフィルの共作である。残念ながらという言い方はおかしいかもしれないが、使われたのはゲイリー・ムーアのインストのみのヴァージョンであり自身の出自を振り返るフィルのポエトリーリーディングの箇所は省略されて世に広まった。

シン・リジィがゲイリー・ムーアやジョン・サイクスなど名ギタリストの活躍の場であるかのように受け入れられてしまうのも、在籍した多くのギタリストの輝かしいキャリアを一瞥すれば致し方のないことかもしれない。

そのギタリスト達の奏法からシン・リジィの音楽は “ヘヴィメタル” とジャンル分けされているようである。しかしグループが所謂ヘヴィメタルサウンドを明確に志向したのは解散が公表された後、ラストアルバムとして1983年に発表された『サンダー・アンド・ライトニング』だけであろう。

シン・リジィの音楽スタイルに通底するものとは?

1969年のデビューからグループは音楽スタイルを様々に変えていった。しかしグループに通底しているキーワードはフィルのロマンティシズムにあると感じる。そこにはアイルランド人の夢見たアメリカのロックンロールスタイルへの憧憬があり、加えてワイルドだが涙脆く情に厚いアイリッシュ気質が下地にあると思う。そこには単純に “ヘヴィメタル” とレッテルを張ってしまうにはあまりにも豊穣なものがある。

その豊かさの原点は彼の書く詩だろう。彼はその恥ずかしいまでのロマンティシズムを率直に歌う。登場するのはアウトロー、カウボーイ、ゴロツキ、無頼漢、山師、脱獄者……。“無垢なロックンロール” とでも呼べそうな典型的な “はみ出し者のロマンティシズム”。そしてその詩は時にバンドの奏でるメロディーから逸脱してポエトリーリーディングの様を呈する。

代表曲「ヤツらは街へ(The Boys Are Back In Town)」を一聴すればあたかもベースギターを持ったボブ・ディランのようなフィルの、語りのような歌唱を堪能できるだろう。

そこからはロックのダイナミックさと隠しきれない哀愁が漂う。ボン・ジョヴィやメタリカ、メガデスなどのヘヴィメタル王道勢はもちろん、カーディガンズやベル・アンド・セバスチャン、ひいてはハッピー・マンデーズがこの曲をカヴァーしているのも単なるヘヴィメタルに収まらないフィル、シン・リジィの魅力のなせる技だろう。

早逝したフィル・ライノット、酔いどれロック詩人よ、永遠なれ!

1986年の年頭、この偉大なロックアイコンは世を去った。僕には深刻に彼を弔うより、ジャーに満たされたアイリッシュ・ウイスキーを飲みながら、CDを貸してくれたアイリッシュの友人とワイワイガヤガヤ彼の歌を歌う方が彼に対する最大の追悼であると思える。酔いどれロック詩人よ、永遠なれ!

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※2018年1月4日に掲載された記事をアップデート

カタリベ: 白石・しゅーげ

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