90年代の大飢饉「苦難の行軍」と似てきた北朝鮮の状況

日本では1940年から、農家に対して、自家消費用のものを除いてコメを国に売る義務が課された。そのコメは、翌年から始まった配給制度で国民に配られることになったが、戦争の激化で量は徐々に減り、敗戦後は交通機関の破壊、戦時中に供出で痛めつけられた農家のコメの出し渋りなど、様々な理由で極度の食糧難に陥った。

都市住民は、焼け跡を耕して農作物を栽培したり、ヤミ市で高値のヤミ米を買ったり、或いは汽車に乗って農村に向かい、農家を訪れ、着物や家財道具を売り払ってコメ、イモを得たりして糊口をしのいだ。正確な統計はないものの、相当数の餓死者が発生した。

それから40年後。北朝鮮でも同様の状況が起きてしまった。1990年代の大飢饉「苦難の行軍」だ。配給システムの崩壊で多数の餓死者が発生、人々は家財道具を売り払って食べ物に替えた。中には、勤め先から設備を盗み出して売り払う者も現れた。

それから20数年。また、歴史が繰り返されようとしている。

両江道(リャンガンド)のデイリーNK内部情報筋は、テレビ、ミシンなどを農村に持っていって売って食べ物を買う現象が現れていると伝えた。ただし、当局が新型コロナウイルス対策で超特急防疫措置を取り、人々の移動を極端に制限しているため、道内での動きに限られる。

苦難の行軍を経験している人々は、国からの配給など期待せず、自力で食糧を調達して生き残った。そのため、「配給はもらえたらいいが、もらえなくてもかまわない」くらいの認識を持っており、自力更生に乗り出したというわけだ。

市場で商売をしていた人たちは、コロナ対策で国境が封鎖され、貿易が止まったことで売る商品が入荷しなくなった。商売が細り、品物を確保しても売れなくなる悪循環に陥った。春先には、市場にやってくる商人の数が激減した。

店を畳んでしまった人もいる一方で、知恵を働かせて少しでも儲けようとする人もいる。市場で客が来るのを待つのではなく、自転車やオートバイに乗って、農村を回って商売をするのだ。都会より貧しい農村で、物が売れるのには理由がある。

「薬草など山で得られる物を取りに来た人が例年より増えた。砂金が採れるところには昼夜を分かたず砂金採りに励む人の姿も目につく」(情報筋)

コロナ禍で生活苦に拍車がかかり、農場から逃げて砂金採りに行く人々が現れ、彼らを目当てにした商売が広がっていることは、今年4月に報じた。そのような現象がさらに広がっていると情報筋は伝えている。

「今では都市住民も、体力と時間を費やしてカネを稼ぐ方法を選んでいる」
「1〜2ヶ月で終わると思っていたコロナ禍が1年も続き、都市住民の経済活動のあり方に変化が生じている」(情報筋)

また、国境地域に住む人の中には「命がけで(外部と)電話をかける」という人もいるという。つまり、摘発されれば処刑されかねない密輸に手を出している人もいるということだ。

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