ノムさん男泣きでチーム一丸 その裏で関係者は〝疑惑の転職活動〟

リンデンと会談を終え出てきた野村監督(2009年10月19日)

【球界平成裏面史・楽天09年編(9)】ソフトバンクとのクライマックスシリーズ(CS)第1ステージを2連勝で制した平成21年(2009年)の楽天は、パ・リーグ覇者日本ハムとの第2ステージを前にチームのムードも最高潮に達していた。

第1ステージ初戦の試合前ミーティングで野村克也監督が見せた「男泣き」で一丸となり、監督批判で事実上の追放状態となっていたトッド・リンデン外野手の問題も第2ステージ直前に大きく動いた。

決戦2日前の10月19日だった。前回のようなTシャツに短パンという軽装ではなくスーツ姿で現れたリンデンは改めて指揮官に謝罪。翌日には選手にも頭を下げ、ベンチにいたノムさんに日本語で「オハヨウゴザイマス!」と笑顔で会釈した。

情にほだされたノムさんは助っ人の一軍昇格を即断した。リンデンはシーズン途中での加入だったが、73試合で打率2割9分2厘、12本塁打、37打点というまずまずの数字だけでなく、先頭打者アーチ3本にサヨナラ打2本と勝負強さもあり、戦力面では〝いてほしい選手〟でもあった。

万難を排して、いざ北の大地へ。意気揚々と決戦の舞台へと向かおうとしていた舞台裏では、別の問題が起きていた。翌年に同一リーグの他球団への移籍がウワサされていた関係者の〝疑惑の行動〟だ。ここでは仮にA氏とする。ある選手はこう証言していた。

「最近、Aさんが頻繁にデータを借りたがっているみたいなんです。しかもCSで対戦するソフトバンクとか日本ハムじゃなくて、全然関係ないチームばかり」

スコアラー陣は、さして気にしていなかったようだが、選手たちは「次の就職先のために持ち出してるんじゃないか」と眉をひそめていた。

〝疑惑の行動〟は一人にとどまらず、B氏も登場する。「Bさんは『今後の練習のため』と言っては、今使わないデータを見たがっていたようだ。シーズン中、普段はほとんど会話もしてない関係者にも話しかけて収集しようとしていた。今後の練習って、今、気にすることではない。どう考えても来年のためですよ」と選手たちは警戒心を強めていた。

こうした行動はフロントの耳にも入り、すぐにデータ管理を厳にするよう言い渡されたという。だが、これもノムさんの去就が二転三転した「弊害」とも言える。

チームの熱狂と〝祭りの後〟に容赦なく訪れる「これから」。ノムさんをはじめ選手、首脳陣、チーム関係者…それぞれが目の前の試合にだけ集中して日本ハムとの第2ステージに挑んだが、肝心の大舞台では地力の差を見せつけられた。

10月21日の初戦は先発の永井が7回まで1失点と好投するも、8回につかまり、8―4の9回には稲葉の適時打とCS史上初となるスレッジの逆転サヨナラ満塁弾を浴びて黒星発進。第2戦もエース・岩隈が8回3失点と力投したが、14残塁の拙攻が響いて2戦連続の逆転負け。

あっという間に王手をかけられたノムさんは試合後に「監督失格だな。4年もやって全然教育ができとらん。ま、解任されて当然でしょ。以上」と言って会見を終え、もう一つの〝決戦〟へと向かった。楽天グループの総帥・三木谷浩史会長からの呼びかけで実現した直接会談だ。

席上では名誉監督の件について具体的な提示を受けた。ノムさんによると「若手を指導、教育してほしい」「在職中、解説や評論などの活動は自由」といったことから愛息、克則バッテリーコーチの処遇にも及んだ。島田亨オーナーとの会談時には「名誉監督受諾の交換条件」だったが、三木谷会長との話し合いでは「名誉監督とは別個の問題」として扱われ「ポジションはともかく、責任を持って引き受けます」と無条件でチームに残留させる意向が伝えられたという。

帰り際には「キャンプに来てくださいよ」とも言われたそうだが、和気あいあいという雰囲気でもなかったのだろう。態度こそ保留したが、その場でノムさんが「名誉に感じる球団かよ、ふざけんな」とタンカを切ることはなかった。

チームは崖っ縁に追い込まれていたが、フロントとの対立姿勢は徐々にトーンダウン。喜怒哀楽に彩られた「ノムさん劇場」は結末が見えないままフィナーレへと向かっていった。

=続く=

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