投手キャプテン〝正式〟就任の大瀬良が見せいていた「リーダーへの自覚」

投手リーダーとしての求心力にも注目が集まる大瀬良

【赤坂英一 赤ペン!!】右ヒジ手術からの復活を期す広島・大瀬良大地、今季は投手陣のキャプテンに就任する(野手陣は鈴木誠)。2014年の新人時代は初々しいイメージが強かった若きエースも今年の誕生日を迎えたら30歳。勝ち星に加えて、投手陣全体を引っ張っていくべき立場になった。

大瀬良自身は2~3年前から、自分がリーダーにならなければ、という自覚をのぞかせていた。「僕自身、入団以来マエケン(前田健太)さん、黒田さんにいろんなことを教わりましたからね。そういう先輩たちに与えられたものを、今度は僕が若い子に受け継がせていく番だと思うんです」 栄養士の資格を持った真由夫人と結婚した一昨年は「若い子を家に呼んで食事会をしたいんだけどいいかな」と相談もしていたという。後輩に何か聞かれたら答えるという距離を置いたスタイルではなく、後輩が自分に話を聞きやすいような雰囲気をつくるためだ。大瀬良らしい気配りである。

チームのキャプテンはエースだった九共大時代に経験済み。広島入団後も、非公式ながら18年の1シーズンだけ先発投手陣の主将を務めている。

広島では15~18年、畝投手コーチ(現三軍統括コーチ)が投手陣のみのキャプテン制を新設することを発案。先発陣とブルペン陣のそれぞれにキャプテンを置いていた。毎年の交代制で、先発の主将は15年前田、16年福井(現楽天)、17年野村、そして3連覇した18年が大瀬良だ。そんな顔ぶれからもわかるように、畝コーチは実績重視ではなく、将来“本当の主将”となるように期待を込めて主将を人選していたようだ。

当時は、この投手キャプテン制が3連覇の原動力のひとつにもなっていた。ちなみに、25年ぶりに優勝した16年のブルペン主将は、3勝34セーブ7ホールドを記録した中崎。当時は今村やジェイ・ジャクソンらとヒゲを伸ばし、若いリリーフ投手陣を大いに盛り上げていたものだった。

佐々岡監督は二軍から一軍の投手コーチに昇格した19年、投手陣全員に競争原理を導入する目的から、投手キャプテン制を廃止。「全員が先発の柱を目指すぐらいの意識を持ってほしい」と投手たちに呼びかけていた。そんな意識改革の2年間を経て、大瀬良が正式に主将に就任。これをきっかけにして、より頼りがいのあるエースに成長してもらいたい。

☆あかさか・えいいち 1963年、広島県出身。法政大卒。「最後のクジラ 大洋ホエールズ・田代富雄の野球人生」「プロ野球二軍監督」「プロ野球第二の人生」(講談社)などノンフィクション作品電子書籍版が好評発売中。「失われた甲子園 記憶をなくしたエースと1989年の球児たち」(同)が第15回新潮ドキュメント賞ノミネート。ほかに「すごい!広島カープ」「2番打者論」(PHP研究所)など。日本文藝家協会会員。

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