これは本当に緊急事態宣言なのか

「最後の切り札」無力化した菅政権の責任

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尾中 香尚里

ジャーナリスト

尾中 香尚里

ジャーナリスト

福岡県生まれ。1988年に毎日新聞に入社し、政治部で主に野党や国会を中心に取材。政治部副部長、川崎支局長、オピニオングループ編集委員などを経て、2019年9月に退社。共著に「枝野幸男の真価」(毎日新聞出版)。

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 新型コロナウイルスの感染急拡大を受け、政府は7日、首都圏の1都3県を対象に緊急事態宣言の再発令を決めた。「遅きに失した」「対応が後手後手」という批判は、すでに聞き飽きるほど出ているので、ここで繰り返すことはしない。ただ、この問題は考えれば考えるほど、どんどん意味が分からなくなってくる。これは本当に「緊急事態宣言」なのだろうか。(ジャーナリスト=尾中香尚里)

 

年頭の記者会見をする菅義偉首相=4日

▽「Gotoイート」打ち出していたのに

 まず驚いたのは、今回の宣言が「飲食店の営業時間短縮」をターゲットにしたことだ。菅義偉首相は、緊急事態宣言の再発令を表明した4日の記者会見で、緊急事態宣言の必要性についてこう述べた。

 「経路不明の感染原因の多くは飲食によるものと、専門家が指摘いたしております。飲食でのリスクを抑えることが重要です。そのため、夜の会合を控え、飲食店の時間短縮にご協力いただくことが最も有効ということであります」

 わずか半月前に「ステーキ会食」「はしご会食」で散々国民の批判を受けた張本人が、堂々とこう口にしたのである。

 そもそも「GoToイート」なる経済振興策を打ち出して、国民に会食するようあおってきたのは、当の菅首相自身である。その人がいきなり、つい先日まで訴えてきたのと正反対のことを、何の総括もなくいきなり打ち出す。

 菅首相はこれで本当に「国民はついてくる」と考えているのだろうか。

 先月24日公開の小欄「菅政権はなぜ国民の行動に口先だけ介入するのか」でも指摘したが、菅首相はおそらく「会食しても感染拡大の恐れが少ない」、すなわち「会食を自粛しても感染拡大防止の効果は小さい」と考えてきた。だからこそ、専門家に飲食と感染原因の関係を指摘されても、平然とそれを無視して会食を続けてきたわけだ。

 それを改めて正反対の施策を打つというのなら、まずこれまでの施策の誤りを明確に認めた上で、判断を大きく変えた理由を、誰にでも分かるように懇切丁寧に説明すべきではないか。そして「GoTo」に期待し、それを織り込んで営業を続けてきた飲食店に対しては、政府の場当たり的な政策変更で死活的な影響を与えてしまうことに、心のこもった謝罪と、丁重な協力依頼が最低限必要だろう。

 何事もなかったように突然「これからは『会食NG』の方向で行くからね、よろしくね」と言われて、それで国民が納得すると思っているなら、首相は相当に甘いのではないか。

新型コロナ特別措置法に基づく緊急事態宣言を発令するよう西村経済再生相(中央)に要請し、記者団の取材に応じる(左から)埼玉県の大野元裕知事、千葉県の森田健作知事、(1人おいて)東京都の小池百合子知事、神奈川県の黒岩祐治知事=2日、東京都千代田区

 ▽4知事への時短要請から2日で方針転換

 訳が分からないのは、緊急事態宣言の肝である「飲食店の午後8時までの時間短縮」は、すでに西村康稔経済再生相が2日、首都圏の4知事に要請済みであることだ。少なくとも2日の段階では、菅政権は緊急事態宣言を出すことなく、法的根拠を伴わない時短要請で乗り切ろうと考えていたはずだ。

 なぜ菅首相が、わずか2日で「緊急事態宣言を出して法的根拠のある要請に切り替える」と判断を変更したのか、全く分からない。

 4日の記者会見で菅首相は「飲食の感染リスクの軽減を実効的なものにするために、内容を早急に詰めます」と述べた。なるほど、先に出した要請の実効性をさらに高めて、多くの店に時短要請に従ってもらうために緊急事態宣言を出す、ということなのかもしれない。

 でも、そうであれば、お店への補償(給付金)であれ罰則であれ(筆者は罰則の効果については極めて懐疑的だが)、要請の実効性を高めるための新たな「武器」が必要だろう。その「武器」となるものが、緊急事態宣言の根拠法である新型インフルエンザ等対策特別措置法の改正である。法改正がまずあって、補償なり罰則なりの「武器」を用意して、それから緊急事態宣言を出すのが筋だ。

 ところが、菅首相はこう言うのだ。

 「給付金と罰則をセットにして、より実効的な対策を採るために、特措法を通常国会に提出いたします」

 緊急事態宣言を出した後に特措法を改正するという。ということは、緊急事態宣言の発令前に出された時短要請と、宣言発令による時短要請とでは、少なくとも「実効性を高める」意味では何の違いもない、ということにならないか。

 ここまで考えて、筆者は本当に分からなくなった。

 菅首相は一体何のために、緊急事態宣言を発令するのか。緊急事態宣言が発令されることで、政府のコロナ対策は、何か新しい段階に突入するのか。とてもそうは思えない。

新型コロナウイルス感染症患者の治療に当たる医療スタッフら=2020年12月28日(画像の一部を加工しています、東京医科歯科大提供)

 ▽医療体制保持のための具体策みえず

 ここまで「飲食店の時短要請」について書いてきたが、もう一つ、最も根本的なことを指摘しておきたい。今回の緊急事態宣言で「想定されていない」ことについてである。

 菅首相が今回、緊急事態宣言を発令しなければならない最大の目的は、医療体制を守ることだ。感染者数を減らすことは確かに大事だが、なぜそれが大事かというと、これ以上感染者が増えれば医療体制が崩壊してしまうからだ。

 「医療体制を守るために、強権を発動してでも政治の責任を示す」ことが、緊急事態宣言の最も重要な目的でなければならない。だが、そのことについて菅首相が4日の記者会見で語った言葉はこうだ。

 「特に東京を始めとするいくつかの都市で逼迫(ひっぱく)する状況が続いております。各地域において新型コロナウイルス感染者を受け入れる病院、病床の数を増やしていただく必要があります。国として、看護師などスタッフの確保、財政支援を徹底して行うとともに、各自治体と一体となって病床確保を進めてまいります。必要ならば、自衛隊の医療チームの投入も躊躇(ちゅうちょ)いたしません。医療崩壊を絶対に防ぎ、必要な方に必要な医療を提供いたします」

 これだけである。どこにも具体的な対策がない。これでは、医療従事者の皆さんは安心して仕事ができないだろう。

 いろいろ書いてきたが、まとめればこういうことだ。

 菅首相は本当は、緊急事態宣言なんか出したくない。しかし国民の批判を受けるから、仕方なく出すことにした。出すのは出すけれど「宣言を出すことで政治は何をしたいのか」がまるでない。だから国民に「これまで同様の対策を」と要請することしかしない。

 要請によって政府が多額の補償をする事態は避けたい。だから、対象をできるだけ絞り込んだ「小さな宣言」にしたい。補償をしなくても、国民には自発的に国の要請に従ってほしい―。

 悲しいかな、首相のそんな本音は、あの記者会見だけで十分に感じ取れた。

 飲食店の営業時間というごく限られた分野に限り、補償の内容も事前に明らかにせず、最も肝心な「医療体制を守る」ことには何の具体策もない。

 そんな緊急事態宣言に、一体どれほどの意味があるのか。

 残念ながら、おそらく国民は「緊急」という言葉に、悪い意味で慣れっこになってしまった。政府も自治体もこれまで、単に「やってる感」を出すためだけに、たいした緊張感もなく「緊急」「重大」といった言葉を安易に使いすぎたからだ。

 もはや国民の多くは、法的根拠を伴う今回の緊急事態宣言との区別も、十分につかなくなっているのではないか。実際、街を歩いていても、昨年春に最初の緊急事態宣言が出た時のような緊張感は、ほとんど感じられない。

 菅首相は緊急事態宣言の使い方を間違えて、コロナ対策の「最後の切り札」をこれほどまでに無力なものにしてしまった。その責任は本当に重い。

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