祝20周年!大江戸線がそこそこ成功した理由

(上)大江戸線の新型車両=新宿駅、(下)全線開業20周年を祝うポスター

 【汐留鉄道倶楽部】都営地下鉄大江戸線が昨年12月12日で全線開通から20周年を迎えた。新型コロナ禍で人の集まるイベントは打てない世情ゆえ、20周年のヘッドマークを掲げた1編成が走っているというが、ホームドアが邪魔をして車両の顔はよく見えないから、毎日通勤で利用している筆者も、まだお目にかかってはいない。(共同通信・篠原啓一)

 大江戸線は、新宿の都庁前から北西郊外の光が丘までの放射部(約12キロ)と、都庁前からぐるっと都心を一回りする環状部(約28キロ)からなる、首都圏でも比較的新しい地下路線だ。一般公募で名称が「東京環状線」と決まりかけたが、実際には環状運転でなく「6の字」の往復運転となることから「物言い」が付き、「大江戸線」となった経緯がある。

 新路線なのに大江戸とはいかに。当初は利用客が少なく経営の足を引っ張ったが、都心回帰の流れに乗って次第に沿線人口も増え、黒字になるまでに至った。

 そこで大江戸線が「そこそこ」成功した理由を考えてみたい。

 第1は環状部による「短絡効果」だ。東京の鉄道網は都心から東西南北郊外へ、JR、各私鉄とも放射状に伸びているのが特徴。環状線はJR山手線のほかは、23区の外側に位置する武蔵野線ぐらいしかなかった。そこへ大江戸線の環状部が加わったことで、さまざまな近道、あるいはわざわざ都心まで出て乗り換えなくても目的地に行けるようになった。顕著なのは大ターミナル新宿と夜の街・六本木の直結だろう。

 近道ができても都営地下鉄はJRや東京メトロより運賃が割高なので、勤め先が定期券の経路変更を認めてくれないという話がニュースになったこともある。自腹でルート変更している人も結構いるはずだ。

 第2はバリアフリーを率先して進めたことがある。後発の地下鉄のため各駅ともかなり深い。そのためエレベーター設置は必須だったが、ホームドアの全38駅設置は2013年までに終えており、ベビーカーを押したまま乗車したいママたちに喜ばれた。バリアフリー化は老舗の東京メトロより進んでいる。

 第3は、沿線の東京らしい観光地をより身近にしてくれたこと。麻布十番商店街、浜離宮庭園、築地場外市場、月島もんじゃストリート、両国・蔵前界隈、御徒町のアメヤ横丁など、もともと東京ローカルを楽しめるポテンシャルがあった。さらには五輪会場となる国立競技場の最寄り駅もある。これなら大江戸の名に恥じない。

(上)駅ホームの柱に掲げられた「6の字」を描く路線図、(下)ベビーカー用に座席が取り払われた子育て支援スペース

 第4は定時制。これは筆者の印象かもしれないが、大江戸線はリニアモーターを使った鉄道のため他線と相互乗り入れすることはできない。その代わり、ほかの線のダイヤ乱れや天候に左右されることはない。

 たくさんほめてしまったが、もちろん課題はある。急カーブが多いことから車輪とレールがきしむ音がすさまじく、コロナ禍で窓を少し空けるのが常態になってからは、うるさくてかなわないという声をよく聞く。トンネル断面が小さいことで騒音の反響が大きいのも一因らしい。

 また新型車は座席が少ない。ドア付近の人の流れをよくするためか、最新では7人掛けだった座席が6人掛けになってしまった。立ち客を増やす方が多く積めるとはいえ、乗客は荷物じゃない。「子育て応援スペース」と称して座席を取り払ってしまったコーナーがお目見えしたが、毎日通勤ラッシュを経験している身としては、おじさん向けのコーナーもあってほしいと思ってしまう。

 一案として、大江戸線は島式ホーム(一つのホームで両側に線路)が基本なので、一度走り出せば終点まで、左右どちらかのドアは開くことがない。だから開かないドアの前に折りたたみ式の椅子を広げられるようにしたらどうだろうか。車両の片側に長椅子がずらっと続く光景は壮観だろう。

 ※汐留鉄道倶楽部は、鉄道好きの共同通信社の記者、カメラマンが書いたコラム、エッセーです。

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