幅広いジャンルをカバーする熟練シンガー、リタ・クーリッジ初期の代表作『ナイス・フィーリン』

『Nice Feelin’』(’71)/Rita Coolidge

リタ・クーリッジと言えば、日本ではボズ・スキャッグスの「ウィ・アー・オール・アローン」のカバーヒットをはじめとしたポピュラーシンガーとして知られている。しかし、彼女はソロ歌手としてデビューする前後(60年代後半から70年代前半)にかけては、エリック・クラプトン、ジョージ・ハリソン、ジョー・コッカー、デラニー&ボニー、ジミ・ヘンドリックス、ボブ・ディラン、スティーブ・スティルス、グレアム・ナッシュらのレコーディングに参加するなど、ロック界で最も光り輝いていたセッションヴォーカリストであった。今回取り上げるのは、彼女のソロ第2作となる『ナイス・フィーリン』で、豪華なメンバーが参加した1stソロアルバム『リタ・クーリッジ』(’71)と3rdソロアルバム『ザ・レディース・ノット・フォー・セール』(’72)に挟まれているだけに存在は地味だが、本作はスワンプ系ロックを代表する傑作のひとつである。

幼少期からの音楽環境

リタ・クーリッジはアメリカ南部のテネシー州出身で、牧師と教師を兼任していた父親のもとで、幼少期から教会でゴスペルを歌っていた。ティーンエイジャーの頃、ナッシュビル(カントリー音楽のメッカとして知られる)からフロリダ州ジャクソンビル(のちにオールマン・ブラザーズ・バンドやレーナード・スキナードが誕生する町)へと引っ越している。そういった経緯もあって、彼女は若い頃からR&B;、カントリー、ゴスペル、フォークなど、さまざまなアメリカの音楽を熟知していた。

フロリダ州立大学では音楽三昧の生活をおくり、卒業後に一家はテネシー州メンフィス(サザンソウルが盛ん)へ移住する。彼女の姉で同じくシンガーの道に進んだプリシラ・クーリッジが、オーティス・レディングのバックで知られるブッカー・Tと交際(のちに結婚する)していたこともあり、彼女は姉とともにセミプロの歌手としてメンフィスで活動するチャンスを得る。ほどなくして、当時の多くの若者がスターになる夢を追って西海岸に集まったように、彼女もまたロスアンジェルスへと向かう。

デラニー&ボニー&フレンズへの参加

ブッカー・Tはスタックスレコードのスタジオミュージシャンで、スタックスと契約した初の白人アーティストとなるデラニー&ボニーのアルバム『ホーム』(’69)に参加していたことから、リタは彼からボニー・ブラムレットのヴォーカルのすごさを知らされる。その後、デラニー&ボニーのふたりを紹介してもらい、彼女はフレンズの一員となる。ここから、彼女の怒涛の数年間がスタートするのである。

デラニー&ボニーは、『ホーム』に続いてスワンプロックのエッセンスが詰まった名作『オリジナル・デラニー&ボニー(原題:Accept No Substitute)』(’69)をリリースする。歌唱力を買われたリタもこのアルバムに参加、ここでアレンジャーを務めていた才人レオン・ラッセルと知り合うことで彼女の人生は大きく変わる。69年、デラニー&ボニーはジョージ・ハリスンの口利きで大所帯のグループ、フレンズを引き連れてイギリスツアーを行なう。すると、イギリスでは一挙にスワンプロック熱が高まっていく。ブリティッシュロッカーたちはデラニー&ボニーのようなサウンドを作るためにはフレンズのメンバーを使うしかないと考えたのか、彼らをバックに起用してレコーディングすることが一気に増えた。

エリック・クラプトンのソロ第1作『エリック・クラプトン』、デイブ・メイスンのソロ第1作『アローン・トゥゲザー』、ジョージ・ハリスンのソロ第1作『オール・シングス・マスト・パス』など(これら3作とも1970年のリリース)、どのアルバムもバックを務めるのは、カール・レイドル、ジム・ゴードン、ボビー・ウイットロック、ボビー・キーズ、ジム・プライス、ジム・ケルトナー、クラウディア・リニア、リタ・クーリッジらフレンズの主要メンバーたちだ。

ジョー・コッカーのツアーに参加

ブリティッシュロックの人気シンガー、ジョー・コッカーのプロデューサーを務めていたデニー・コーデルは、スワンプロックの仕掛け人であったレオンにジョー・コッカーのアメリカ公演のコーディネートを依頼する。するとレオンは、彼のオクラホマ人脈で構成されていたデラニー&ボニーのバックミュージシャンを根こそぎジョー・コッカーのバックメンに引き抜いてしまう。そして、レオンはコッカーの音楽監督に就任、2カ月に及ぶアメリカツアーをスタートさせることになり、70年にリリースされたのがライヴ盤『マッド・ドッグス&イングリッシュメン』である。リタはこのアルバムで、のちにカーペンターズが歌ってヒットする「スーパースター」(ボニー・ブラムレット作詞、レオン・ラッセル作曲)を披露している。余談であるが、レオン・ラッセルの代表曲の一つ「デルタ・レディ」はリタのことを歌った曲である。

本作『ナイス・フィーリン』について

初のソロアルバムとなる前作『リタ・クーリッジ』では、ブッカー・Tやレオン・ラッセルをはじめ、クラレンス・ホワイト、ジェリー・マッギー、クリス・エスリッジ、ジム・ケルトナー、スティーブ・スティルス、ボビー・ウーマック、スプーナー・オールダム、マーク・べノ、ジム・ホーンといった凄腕のセッションマンたちがバックを固めていたが、本作はディキシー・フライヤーズ(主にサザンソウルのバックを務める白人ユニット)を中心に、アル・クーパー、ニック・デカロ、ラスティ・ヤング(ポコのメンバー)らが曲によって参加するといったシンプルな編成になっている。レコーディング・エンジニアにはブルース・ボトニックとグリン・ジョンズの大物コンビが選ばれているところをみると、リタが制作側に大切にされていたようだ。

収録曲は全部で10曲。彼女が信頼しているマーク・ベノの名曲2曲の他、ソウルシンガーのジミー・ルイスの2曲、ディキシー・フライヤーズのキーボード奏者マイク・アトリーの2曲の他、デイブ・メイソン、ボブ・ディラン、グレアム・ナッシュがそれぞれ1曲ずつ、そして当時はまだ本人バージョンがリリースされていなかったニール・ヤングの「過去への旅路(原題:Journey Thru The Past)」となっている。

歌伴を得意とするディキシー・フライヤーズの実直で渋い演奏は、泥臭くスワンプそのもので、本作の方向性を決定づけている。リタの歌声はボニー・ブラムレットのハスキーな声とは違って、伸びやかで爽やかな声が持ち味であるものの、時によってゴスペルフィールやソウル的な歌い回しが登場するところが最大の特徴である。名曲ぞろいの本作は、間違いなく彼女のスワンプ期(1stから3rdまで)における最高の作品だと思う。

本作以降

3rdアルバム『ザ・レディース・ノット・フォー・セール』のあとは、夫となるクリス・クリストファーソンと共にカントリー・デュオのクリス&リタとして活動し、1stアルバム『フル・ムーン』(’73)はカントリーチャートで1位を獲得している。続くソロ4作目の『愛の訪れ(原題:Fall Into Spring)』(’74)から、彼女のさわやかな声がそうさせたのか、A&M;というレーベルの特徴なのか、徐々にスワンプ臭は薄れポップス志向のサウンドに変わっていく。相変わらず良い曲(おそらく選曲は彼女が主導権を持っていると思う)を取り上げてはいるのだが、前述の「ウィ・アー・オール・アローン」収録の大ヒットした6作目『エニイ・タイム…エニイ・ホエア』(’77)で完全にポップス歌手として変身を遂げるのである。スワンプロックのシンガーとしてのリタ・クーリッジが好きな人間にとっては残念であるが、それも時代の流れなのだろう。

TEXT:河崎直人

アルバム『Nice Feelin’』

1971年発表作品

<収録曲>
1. ソウルフル・ファミリー/Family Full Of Soul
2. 涙の朝/You Touched Me In The Morning
3. イフ・ユー・ワー・マイン/If You Were Mine
4. ナイス・フィーリン/Nice Feelin'
5. オンリー・ユー・ノウ・アンド・アイ・ノウ/Only You Know And I Know
6. アイル・ビー・ゼア/I'll Be Here
7. ベター・デイズ/Better Days
8. 人生の重荷をといて/Lay My Burden Down
9. 我が道を行く/Most Likely You Go Your Way (And I'll Go Mine)
10. 過去への旅路/Journey Thru The Past

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