<いまを生きる 長崎コロナ禍>祖父と父の「心」継ぎ オゾン発生装置を無償貸与

 新型コロナウイルスという未知なる敵と対峙(たいじ)したとき、商売を度外視し「救いたい」と強く思った。行動の根底にあるのは、原爆の焼け野原から立ち上がった祖父と一昨年に他界した父から継いだ「人を思う心」。コロナ禍の中、従業員8人の小さな会社が抱く、大きな信念-。
 環境衛生管理のシモダアメニティーサービス(長崎市、SAS)の2代目、下田貴宗さん(44)は、中国・武漢で感染が広がっていた昨年2月、ニュースを見て直感した。
 「うちのオゾンが役に立つ日がきっと来る」
 父智博さん(享年67)が「人のためになる」と20年以上前から研究してきたオゾンガス。発生装置を開発・製造し、インフルエンザの予防や重症急性呼吸器症候群(SARS)流行時にも活用され、成果を残してきた自負があった。
 3月1日に動き始め、取引先の飲食店やホテルなどにオゾン発生装置を無償で貸与した。「あまり売れていなかった商品」(下田さん)でもあり、商機と捉えることもできたが、安心安全を届けたい、その一心だった。同じころ、日本ではマスクや消毒薬が不足。海外から手に入れ、取引先に利益なしの価格で譲った。

取引先の料亭で談笑する下田さん(右)。机の上にあるのがオゾン発生装置=長崎市金屋町、坂本屋

 最終的に100台近くの装置を提供した。当初、効果は明確ではなかったが、8月に藤田医科大(愛知県)の研究で人に無害な低濃度オゾンガスがコロナウイルスを不活性化させることが証明された。「技術が役立ち、父の生きていた証しを世に広めることができた。あまり褒めてくれる人ではなかったけど、今はきっと…」。下田さんは照れくさそうに言った。
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 戦前、下田家の暮らしは松山町の爆心地近くにあった。終戦後、衛生兵だった祖父の貞夫さんが戦地から帰還。家族4人が亡くなり、街は消えていた。「このままではゴキブリやネズミが増え、ペストなど感染症がまん延する。そうなれば人類が滅びるかもしれない」。失意のどん底にあっても、医学的知見を持っていた貞夫さんは目の前の状況を冷静に見ていた。下田さんは父からそう伝え聞く。
 「人類のために」と貞夫さんが弟と立ち上げた害虫駆除会社がSASの前身。時は流れ、置かれている環境は当時と全く異なる。ただ、新型コロナに直面したときに湧いてきた「救いたい」という思い。それは祖父があの日、焦土を前に抱いた気持ちに通じるものがあるのではないか。今はそう感じている。
 SASは消毒作業も請け負い、昨年4月、長崎港沖に停泊中のクルーズ船内でクラスター(感染者集団)が発生した際には、検査で陰性だった乗組員を乗せたバスの消毒を担った。感染リスクはゼロではなく、できればやりたくない。でも誰かがやらなければいけない仕事。人を思い、防護服に身を包んで作業に当たる従業員が誇らしく、その姿に胸が熱くなった。
 年の暮れ、下田さんは長崎市の老舗料亭にいた。ちょうど市内にも新型コロナの第3波が押し寄せてきた。今、客が求めるのは何よりも「安心安全な環境」だと女将(おかみ)は言う。祖父と父から継いだ信念を貫き「本物の仕事」を追求していかなければいけない。誰もがコロナの収束を願う中、見つめ直した初心。料亭の玄関ではオゾン発生装置が静かに稼働していた。

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