原発事故で閉校の小学校に集った11人の新成人

「元気でね」ふたたびの別れにあふれる涙

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別れ際、雑草の生えた校庭で抱き合う神長倉望美さん(左)と山本麻里さん。2人は幼なじみだった

 「元気でね、元気でね、また会おうね」。東京電力福島第1原発事故で今も避難指示区域が残る福島県浪江町。雑草が茂った校庭の片隅で、振り袖姿の2人が抱き合っていた。小学4年生で避難するまで家が隣で、幼なじみだった神長倉望美(かみながくら・のぞみ)さんと山本麻里(やまもと・まり)さん。今日はずっと笑顔だった。でも別れ際はやっぱり寂しくて、涙がこぼれた。(共同通信=坂野一郎)

 ▽雑草だらけの校庭

 東日本大震災からまもなく10年を迎える浪江町で9日に開かれた成人式は、新型コロナウイルス感染防止対策を講じたものになった。席は間隔を空け、マスクは記念写真の時だけ外した。懇親会や飲み会もできない。

母校を訪れた苅野小学校出身の新成人

 町立苅野(かりの)小学校出身の新成人11人は、式の後、家族と母校を訪れた。閉校が決まり、校舎も解体される予定になっている。みんなで遊んだ校庭は雑草だらけで、校舎も暗かった。遊具もさび付いている。寂しく映る学校とは対照的に、11人の表情は明るかった。思い出話に手をたたいて笑い合ったり、写真を撮ったり、明るい声が絶えない。一緒に訪れた両親らも、そんな子どもたちの姿をうれしそうに写真に収めていた。

 ▽「もう知ってる浪江じゃない」

 当時のクラスメートで集まって小学校に来たのは、原発事故の後は初めて。およそ10年ぶりになる。「いまどこ住んでる?」「てか俺のこと本当に覚えてんの?」。浪江町は原発事故後に全町避難となり、それぞれが避難先で学校に通った。ありふれた会話も、月日の長さを感じさせる。「準備もできずに、離れ離れになっちゃったもんね」。誰かが言った。 

校庭で記念撮影をする苅野小学校出身の新成人。11人もクラスメートがそろうのは、およそ10年ぶりだ

 仙台市で大学に通う神長倉さんが住んでいた浪江町の自宅は、今も帰還困難区域になっている。家が隣で幼なじみだった山本さんとは、「のんちゃん」「まりちゃん」と呼び合い、夏は近くの川で遊んだり、冬は山でそり滑りをしたり、毎日のように遊んでいた。「会えなくなるなんて思ってなかったです」。すぐに帰れるつもりだったが、まもなく10年となる今も、避難指示は解除されず、両親も自分も生活の拠点を移した。時々訪れる町は一部で避難指示解除となったものの、かつてあったショッピングセンターや住宅は解体され「もう知ってる浪江じゃないな」と変化を感じる。でも、先生に仲がいいと言われていたクラスメートとは思い出の小学校で、久しぶりでもすぐに話せた。「変わっていなかったから、うれしかった」

 ▽「最後」の集合写真

 横浜市の専門学校生、吉田穂里(よしだ・みのり)さんは震災当日、浪江町に新築した自宅に引っ越す最中に地震に襲われた。その後避難となり、町には今も誰も暮らしたことがない新築が残ったまま。現在家族は福島市に移り、一緒に浪江に来たのは3年ぶりだという。「でもやっぱり浪江に来ると落ち着くんですよね」と話す。どんなところがですか、と尋ねると、「田舎だから?今の風景を見ると複雑なんですけど」と照れながら笑った。少し質問を変えて、浪江の友達はどんな存在ですか、と聞いてみた。吉田さんは、「やっぱり、特別な存在です」と近くで話を聞いていた友達の目を見て笑った。

記念撮影に納まる苅野小学校出身の新成人。閉校が決まり、校舎も解体される

 校舎の前に並んで、集合写真を撮った。解体前、クラスメートで学校に集まれるのは、きっと最後。スーツと振り袖に身を包み大人になった当時の小学4年生を、校舎が見守る。校舎に掲げられた横断幕には「苅野っ子の心にいつまでも ありがとう苅野小学校」と書かれていた。

 記念写真を撮り終わり、日が沈みかけても、11人はなかなか小学校を離れようとしなかった。

振り袖姿で苅野小学校の校庭に立つ、神長倉望美さん(左)と山本麻里さん

 「元気でね、元気でね、また会おうね」

 心からの言葉を何度も繰り返した。

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