「息子のように苦しむ子どもをつくらないで」 生きていれば二十歳の誕生日、長崎海星高いじめ自殺 母親の手記全文

By 石川 陽一

生徒の母親が記した手記の一部

 同級生からのいじめ被害を遺書類に書き残し、2017年4月に自ら命を絶った長崎市の私立海星高2年の男子生徒=当時(16)=の母親(48)が、共同通信に手記を寄せた。1月19日は生徒の誕生日で、生きていれば二十歳の節目を迎えていた。我が子の悩みに気付けなかった苦悩を吐露しながら、現在もいじめと自殺の因果関係を否定している学校側に「息子の命をいじめ防止に役立ててほしい」と呼び掛けた。ご本人の同意を得て、全文を公開する。(共同通信=石川陽一)

 ▽親として何もできなかった

 この1月19日、生きていれば息子は20歳になったはずでした。久しぶりに息子宛てに届いた郵便物は、成人式用のスーツのダイレクトメール。仲が良かった友人たちと一緒に成人する姿を想像すると、悲しみがこみあげてきます。

 今、生きていたら、どんな大人に成長していたのだろうか、夢に向かって日々を過ごしていたのだろうか。

 息子は、幼いころから争いごとを好まず、どちらかというと穏やかな性格でした。ウォルト・ディズニーに憧れ、将来はテーマパークのエンジニアになることを夢見ていました。夢を話してくれる姿はいつも輝いていました。

 そんな息子が苦しい学校生活を送っていることに、私は気付きませんでした。自宅で一緒に過ごし、何でも話してくれる息子とはコミュニケーションを取れている、そう思い込んでいました。

 息子の遺書には、「家族に迷惑をかけたくない」と書いてありました。最期まで家族を思った息子に、私は親として何もしてあげることができなかった。どんなに後悔しても、もう息子が帰ってくることはありません。

生徒の祖母から送られたという成人のお祝いを手に取る母親(遺族提供)

 ▽学校は「突然死」を提案

 私の息子は2017年4月20日、16歳で自ら命を絶ちました。現場や自宅には、いじめを示唆する内容の遺書類を残していました。

 「マスコミが騒いでいるので、突然死ということにした方がいいかもしれませんね」「遺族が希望するのであれば転校ということにもできますよ」

 息子が通っていた私立海星高の武川真一郎教頭(現校長)から、自殺の約1週間後に夫が受けた提案です。まだ整理がついていない、遺族の揺れる心を突き刺すような言葉でした。

 学校の提案を受け入れなければいけないのか?

 ほかの生徒たちに、既にこの世にいない人間を、まるで生きているかのようにウソをつくのか?

 悩み過ぎた私は、心身共に疲弊して睡眠も取れず食べ物も喉を通らず、外を歩くのも怖くなりました。病院で診断された結果はうつ病。でも病に負けるわけにはいきませんでした。

 息子の自死の真実を知りたかったからです。そう考えると、自殺の事実を偽ることはできませんでした。長男や夫と話し合い、「いじめが原因での自殺だと公表した上で再発防止に努めてもらう」と決めました。この日から私たちの長い長い闘いは始まりました。

 当初、学校はいじめを認めていました。加害者とされる同級生の個人名が書かれたノートが見つかり、武川前教頭は「これはいじめですね。私たちはやられた側が苦しいと思ったらいじめなのだと生徒たちに教育してきている」と言ったのです。

 私はいじめに関する法律やガイドラインを何度も読み込みました。子どもが自殺して背景にいじめが疑われる場合、原因を究明して再発防止策を講じる義務が学校にはあることを知りました。

 第三者委員会を設置して自殺の原因を調べてほしいと要望書を出すと、学校の態度は硬化しました。“いじめ”という言葉を避けるようになり、息子が在籍していたクラスでは、自殺のことでの話し合いや指導はありませんでした。再発防止に取り組んでほしい、と何度お願いしても、返ってくる答えはいつも同じ。「第三者委員会に全てお任せしていますから」。全てを丸投げするような印象を持ちました。

自殺現場で手を合わせる両親

 ▽向き合わない学校、募る不信

 海星高では過去にも自殺した生徒がいたことを知り、「なぜ教訓としてその後の生徒や保護者に伝わっていないのか」と尋ねました。すると、武川前教頭は「いちいちメモして記録しているわけではない」と言うのです。この時に私は思いました。学校にとって生徒の命はそんなに軽いものなのか、息子の件も時間がたてば、同じように扱われるのかな、と。

 学校に対する不信感は募るばかりでした。そんなある日、いじめで子どもが亡くなった際に、死亡見舞金が降りることをニュースで知りました。文部科学省が定める「いじめの重大事態の調査に関するガイドライン」の中にも『日本スポーツ振興センター災害給付の申請は保護者に丁寧に説明した上で手続きを進めること』との記載があります。

 学校は申請について、自殺から半年以上たっても、何の説明もしていませんでした。この出来事を機に、私は日本スポーツ振興センターや文部科学省などに対し、学校の対応が適切なのか疑問に思ったことを、問い合わせるようになりました。

 文科省のガイドラインは、学校に遺族の心情に寄り添った対応を求めています。それが守られていないように感じられる出来事が、あまりにも多すぎたのです。

 文科省からは、私立校の管轄は県にあるので、長崎県と話し合う方が良いと助言を受けました。長崎県学事振興課に連絡し、担当者と面会することになりました。

 当時の県の担当者(現県立高校長)は、息子の件を把握していたため、遺族の不安をくみ取ってもらえると思っていました。ところが、当時の担当者から最初に言われたのは「海星高は真摯(しんし)に対応していると思う」。学校を擁護するような言葉に聞こえました。

手記が書かれたノート

 ▽県は学校に味方した

 さらに後日、県と学校と遺族の三者で話し合いの場を設けてもらった時も、当時の担当者は「突然死という言い方まではギリ許せるけど、転校というのは言うべきでなかった。ただ海星側として弁解するならば、その時点では(加害者とされる同級生の)実名入りノートが見つかっていなかった」と述べました。県は遺族ではなく、学校の味方をしたように感じられました。

 学校に要望していた全校保護者会での自殺の公表については「亡くなったという事実が広がっていないので、開く必要はない」と断言しました。私は驚きました。国に問い合わせれば、私立校の指導は県の管轄と言われ、県に聞けば、遺族よりも学校の立場を重んじる。生徒がいじめで自ら命を絶ち、学校が法やガイドラインにそぐわない態度を取っても、私学を指導する機関はどこにもないのだなと感じました。

 後に異動で県の担当者が変わりました。今の担当者の方は、法に照らし、遺族に寄り添った対応をしてくれています。同じ役職なのにもかかわらず、人によってこうも対応が変わるのか。何のためにいじめに関する法制度があるのか、分からなくなりました。

 その後も「いじめと真正面から向き合ってほしい」という遺族の願いを、学校がかなえることはありませんでした。息子が亡くなって約1年たった段階でも、手記に記されていた加害者とされる同級生の名前を、当時の担任や学年主任にすら伝えていませんでした。

 頼みの綱は第三者委員会だけでした。「きっと真実を明らかにしてくれる」と信じることだけが、心の支えとなっていました。

第三者委の報告書

 ▽学校、第三者委報告を拒絶

 息子の死から約1年7カ月後の2018年11月、第三者委員会がまとめた報告書が完成しました。報告書では、いじめと自死の因果関係が認められ、学校がいじめ教育を怠っていたこと、遺族への不誠実な対応についても苦言を呈していました。

 報告書が完成する前、県と学校と遺族の3者の話し合いの席で、武川前教頭は「第三者委員会がどんな結論を出そうとも私たちはそれを重んじる」と発言しました。この報告書で学校は生まれ変わってくれる、パンフレット1枚すらもらっていない日本スポーツ振興センターの申請も、手続きを進めてくれると信じていました。

 しかし、その希望は簡単に崩されたのです。学校の代理人は「報告書は受け入れない。死亡見舞金も申請しない」と通告してきました。そんなことが許されるのか。あまりの残酷さに、怒りと悔しさで一杯でした。

 報告書の完成から既に2年以上がたちました。現在も学校は報告書を受け入れていません。息子の命をいじめ防止に役立ててほしい。ただそれだけなのに、遺族の願いはどうして学校に届かないのでしょうか。

 遺族と学校の代理人が協議する中で、海星高は、学校への損害賠償権の放棄を条件に死亡見舞金の申請をすると持ち掛けてきました。私は訴訟なんて考えてもいなかったのに、この制度を交換条件として提示してくる学校の姿勢に激しい憤りを感じました。これが教育機関のやることなのか。断固として拒否しました。

 私は学校の対応がどうしても納得できませんでした。このままでは、息子が苦しみの果てに選んだ死は、息子の命は無駄になってしまう。そう考えました。

 ある新聞社の方が私たちの話を真剣に聞いてくれました。息子の事案が新聞に掲載され、記者会見に臨むと、大きな反響がありました。

 世間の注目を集めたからか、学校の代理人は「報告書を真摯(しんし)に受け止めようと努めている」と遺族に言ってきました。でも、私はその言葉を信じられませんでした。実際、その後も受け入れ拒否を続ける学校の態度を見れば、本気ではなかったことがよく分かります。

生徒の遺書を手にする母親

 ▽同じ過ち、繰り返さないで

 2019年3月1日の卒業式は、息子の写真と共に参加させてもらいました。卒業生の中に息子がいないことは本当に悲しく、辛いものがありました。加害者として名前が出た同級生は結局、学校から何の指導もされないまま、この日卒業していきました。どうかこの先、同じ過ちを繰り返さないでほしい。そう祈るしか私にはできませんでした。

 日本スポーツ振興センターへの申請は、事案の発生から2年までという期限があります。卒業式の時点で、時効まであと1ヶ月半しか残されていませんでした。学校は申請を拒否し続けたため、やむなく私たちは遺族申請をすることにしました。この制度は、どういうわけか、遺族が直接申請する場合であっても、書類は必ず学校を経由する規定があります。

 遺族の代理人が学校に協力するよう強く訴え、どうにか間に合いました。この申請でも海星高は、報告書を受け入れないことを主張し、息子の死亡理由の欄は「不詳」と書きました。

 学校とのやりとりは、まだまだ続きます。この時点で、ガイドラインで定められている県への第三者委員会の報告書の提出も、遺族が要望する報告書の対外的な公表も、学校はしていませんでした。終わりの見えない毎日に、何度も心が折れそうになりました。そのたびに「息子の死を無駄にしてはならない」「息子を最後の被害者に」との初心に立ち返り、踏ん張りました。

 県から学校への指導もあり、報告書の完成から約半年後、ようやく県への正式な提出がなされました。公表についても、完成から約1年後に実施されました。

 でも、記者会見などの遺族が望む方法ではなく、学校のホームページにひっそりと掲載されただけでした。しかも、10日ほどで削除されました。学校の見解文も添付されており、報告書を受け入れないことを改めて表明しました。

 どこまで苦しめるのか。息子の、そして遺族の人間としての尊厳をめちゃくちゃにされた気持ちでした。

長崎市の私立海星高

 ▽苦しむ子どもを二度と作らないために

 公立校には教育委員会という監督機関があります。でも、私立校にはありません。海星高に息子を進学させたことで、こんなに険しい道のりが待っているとは、夢にも思っていませんでした。

 もちろん全ての私立が海星高と同じとは言いません。生徒を大切にする私学もきっとあるでしょう。でも、息子が海星高から受けている残酷な仕打ちは現実なのです。

 息子が亡くなって3年を迎えるころ、日本スポーツ振興センターはいじめによる自殺と事実上認定し、死亡見舞金の給付を決定しました。息子に良い報告ができたことは大変うれしかったです。学校が第三者委員会の結論を受け入れないのは、全国初の事例だったそうです。

 給付決定時、海星高校は自らのホームページに自死といじめの因果関係を否定する見解文を改めて掲載しました。どうしてそこまでかたくななのか。学校の姿は、保身に走っているとしか思えません。

 海星高には多くの先生方がいらっしゃいます。誰か一人でもいい、子どもの命の重さを感じ、二度と同じことを繰り返してはいけないと思う人がいてほしいものです。

 次の被害者を出さないためにも、私たち遺族には、まだ課題が山積みです。息子が戻ってくることはないけれど、息子のように苦しむ子どもたちを作ってはならない。そのためにも、私たち遺族は真実を語っていかなければならないと思っています。

 いつの日か必ず、笑顔で息子に報告する日がくると信じています。

  「はやと、あなたが生きた証は残っている。たくさんの子どもたちの役に立っているよ」と。 (おわり)

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