陽性「まさか自分が」 長崎県内の女性 職場全員陰性 安堵の涙

陽子さんが過ごした宿泊療養施設の個室=県内(陽子さん提供)

◆自宅で友人から感染 

 昨年12月中旬、長崎県内に暮らす陽子(仮名、50代)の自宅に、友人が年末のあいさつを兼ねて訪ねてきた。
 「お茶をどうぞ」。対面で座り、2人ともマスクを外して1時間半ほど話し込んだ。30分ほど遅れて来た妹は友人の斜め向かいに座った。
 「ゴホッ、ゴホッ」。友人は「風邪をひいた」と言ってせき込んでいる。「友人に失礼かな」と思い陽子も妹もマスクは外したまま。妹は窓を開けて換気した。
 3日後の午後7時すぎ、友人からLINE(ライン)が入った。新型コロナウイルス感染症のPCR検査で陽性反応が出たという。会った日の翌日から高熱が出て寝込んでいたらしい。同10時前、保健所から「あなたは濃厚接触者です」と連絡があった。「まさか自分が」。そう思った。
 翌日、保健所の指示でドライブスルー方式のPCR検査を受け、家に帰ると疲れが出て、横になった。鼻が詰まり、嗅覚がない。深夜、保健所から「陽性」と伝えられた。
 次の日、保健所の手配で救急車が自宅に来て、病院に搬送。車内で横になると感染防止のカプセルに収容された。症状は軽く、県が確保した宿泊療養施設へ。個室で外出は禁止。
 1日3度、食事の時間になると、人との接触を防ぐため部屋から出ないよう館内放送があり、個室前の廊下の椅子に弁当が配られる。毎回、弁当店も内容も違い、おにぎりやサンドイッチ弁当も。飽きないような工夫を感じた。タオルは自分のものを使い、洗濯物は個室で洗い、部屋干し。読書、映画観賞、ビデオ会議システム「Zoom(ズーム)」で友人と話すなどして過ごした。
 数日後、微熱が出て、病院に搬送。エックス線を撮ると肺炎の症状があり、そのまま入院した。
 職場では感染者第1号。同僚が濃厚接触者になり、全職員らが検査を受けた。「感染させていないか」と不安がよぎったが、幸い全員陰性。上司から「大丈夫、心配せんでいいからね。ゆっくり休んで」と連絡があり、涙があふれた。妹も陰性だった。
 市中感染が進んでいる。友人は陽子宅を訪ねる1週間前、別の友人宅を訪ねて感染したと聞いた。この別の友人の家族が感染していたということだが感染経路は不明という。

◆防護服擦れる音 夜中まで

 新型コロナウイルスに感染した陽子(仮名、50代)=県内在住=は2020年の大みそか、病院の個室のベッドにいた。夜中にひどくせき込むと、看護師がせきを抑えるステロイド剤を持ってきてくれた。
 大みそかは除夜の鐘のカードが添えられた年越しそば、元日は謹賀新年のカードとおせち料理が出ておいしかった。病院の配慮が心にしみた。食器やお盆はプラスチック容器で、使用後はビニール袋に入れて感染性廃棄物を処分する「ハザードごみ箱」に捨てる。個室はシャワー室もあり、体を洗うことができたが、狭くて「高齢者にはきついだろう」と思った。
 新型コロナの症状は人それぞれ。陽子は症状が出て10日間は鼻づまり。入院した夜は、左足のくるぶしからつま先にかけて足の甲がつり、伸びたまま5分ほど戻らない。治まると左手の甲がつる。微熱が出ると頭頂部の頭皮が痛くなる。看護師に聞くと腰の皮膚が痛いという患者もいるという。入院中は心臓がきゅーんと痛んだ。いずれも初めての症状だった。
 感染病棟では防護服とフェースガードを身に着けた看護師が親身に世話してくれた。病棟には医師、看護師以外は入れないため、ごみの回収や清掃、壁やトイレの消毒も看護師の仕事。防護服がワサワサと擦れる音は、夜中も響いていた。
 平熱に戻ると、保健所の職員が迎えに来て、再び宿泊療養施設へ。窓から望む景色や人の行き来は「近くて遠く感じた」。
 PCR検査を受け、結果は陰性。退所が決まった。「やっと外に出られる」。喜びをかみしめた。
 「1日3食を出してもらえる宿泊療養施設に入れたからこそ、身近な人に感染させるリスクはなかった。食事を運んでくれる人、健康管理をしてくれる看護師、病院側の対応、人の手助けが何よりありがたかった」
 自分が感染するとは思っていなかった陽子。今回の経験を人に伝えることで感染予防や、市民が感染した際に少しでも役立てばと今思っている。最後にこう話した。
 「ウイルスはどこから入ってくるか分からない。マスクを外さず、手をよく洗う。ウイルスを持ち込まないよう家でも職場でも消毒の徹底を。免疫力ももっと付けてほしい」
=文中敬称略=


© 株式会社長崎新聞社