元巨人・篠塚和典氏の引退の真実 「させてしまった…」恩師・長嶋茂雄氏への“心残り”

長きに渡り巨人の主力として活躍した篠塚和典氏【写真:荒川祐史】

目標は20年プレーすることだった…しかし、監督室に呼ばれた日本シリーズで

巨人屈指の巧打者だった篠塚和典氏は現役時代、類まれな野球センスで活躍。高い打撃技術で安打を量産し、首位打者2度を含め打率3割を7度マークした。8度のリーグ優勝、3度の日本一を経験した。1994年を最後に現役を引退したが、今だから明かす恩師・長嶋茂雄巨人終身名誉監督への「心残り」があった。

1994年。第2次長嶋政権の2年目を迎えた巨人はFAで落合博満氏を獲得。高卒2年目の松井秀喜氏との3、4番が多くの注目を集めていた。メジャー経験の豊富なダン・グラッデン、ヘンリ・コトーらの外国人選手も加わり、悲願のリーグV、日本一へ向かって大きく動き出した時期だった。

19年目を迎えた篠塚氏は入団時からの恩師でもあるミスターを胴上げしたいという一心で戦っていた。開幕戦は松井氏、落合氏に続く「5番・二塁」で先発出場したが、徐々に緒方耕一氏の若手や岡崎郁氏にセカンドのポジションを譲る機会が増えていた。

「自分の中では20年やるということは、一つの目標でもありました。でも若い選手も育てないといけないという考えを球団も長嶋さんも持っているのもわかっていました。なので、ミスターが戻ってきた時(1993年)からそうなのですが、自分の成績じゃなく、チームのために、他の選手たちがいい結果を残してもらいたいという気持ちで入った19年目ではありました」

開幕時には「引退」の2文字はなかった。しかし、夏場に心境の変化があった。打撃の調子を落とした時、篠塚氏は早出特打で調子を取り戻そうとした。そこに長嶋監督が見に来たのだった。天才的な打撃を持つ篠塚氏。ミスターに限らず、打撃の指導を受けることは1軍に定着してからはほとんどなかったことを考えれば“異例”の光景だった。

「久しぶりに付き添っていただいて、嬉しかったんですが、自分がそれを長嶋監督にやらせてはいけないなって、思うようになりました。申し訳ないっていう思いが出てきてしまった」

他の選手に付き添うのとはわけが違った。長嶋監督に見い出され、プロ入り。再び同じユニホームを着て、頂点を目指す中で、自分は先頭に立って、リードしていかないといけない立場。それなのに貴重な監督の時間を割かせてしまったという思いが胸を締めつけていた。

「こういうことをまた来年はさせちゃいけないなっていう思いもありました。自分の中で、余計な心配をかけてしまったと、すごい心残りで……。なので、自分の中ではもうそろそろっていうのはそのあたりから、出てきましたね」

ゲージ裏からのミスターの視線が刺さっていた。若い時の篠塚氏を知る監督の指導により、打撃の調子を取り戻した。だが、37歳のシーズンは腰痛との戦いでもあった。全盛期のような打撃のキレは戻らなかった。

応援してくれる人に伝えてから、最後のシーズンを迎えたかった

チームは序盤から順調に白星を伸ばしていた。5月には槙原寛己氏が完全試合を達成。松井、落合、コトーのクリーンアップは強力だった。篠塚氏の出場機会は減っていった。節目でもある来季20年目を最後に……そんな未来予想図を描き始めていた。

「辞めるのであれば、今まで応援してくれた方々に伝えてから、シーズンに入りたかった。20年という目標があったので、20年目に入ったときにみんなに言おうかな、と」

しかし、潮目が大きく変わった。チームは中日との勝った方が優勝の「10・8」決戦に勝利し、4年ぶりのリーグ優勝を達成。1989年以来、そしてミスターにとっても初めての日本一に向かってシリーズを戦う準備を整えていた。

大事なシリーズ直前、ミスターから監督室に呼ばれた。話の内容は今でもはっきりと覚えている。

「『ユニホームを脱いだらどうするんだ?』と。もう引退をする前提で話をされまして……。『まだ、考えていません』と伝えました。ミスターからは『そうか、球団としても、いろんな考えもあるから』『若い選手を育てないといけない』という言葉を聞いた時に、(引退しないといけないと)そういう気持ちになりました」

篠塚氏はシリーズが終わった後にもう一度、話をする約束をかわし、「わかりました」と言い、部屋を出た。

「私はミスターがチームを作っていかないといけないという考えを尊重しながらも、自分としてもやっぱり現役を続けたいという思いもありました。もう1年、やりたかったのは自分のためではなくて、応援してくれていた人に伝えたかった。ここで辞めてしまったら、急なことになってしまう。なので、そういう部分では心残りっていうのはありましたね」

その年、巨人は西武と日本シリーズを戦った。篠塚氏は敵地・西武球場での第4戦、代打での出場1打席だけだった。

「自分の中では、最後は本拠地の東京ドームで出して欲しいなという思いもありました。試合の流れもあるし、監督やコーチが決めることだから、自分からはなかなかね……。その辺は(打撃コーチだった)中畑(清)さんは考えてくれるかなと思ったですが、考えてくれてなかったですね……(笑)」

最後の打席は中飛だった。大きな力にはなれなかったが、巨人は西武を破り、1989年以来の日本一に輝いた。ミスターが初めて、日本シリーズで宙を舞った。

「巨人以外のユニフォームを着ることは全く考えていなかった。やっぱり戻ってきたばかりのミスターとまた同じ場所でユニホームを着られて、そこで辞めるのが一番いいのかなと感じました」

篠塚氏が現役生活にピリオドを打った背景にはミスターとの強い結びつきがあったのだった。(Full-Count編集部)

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